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28年の往復書簡(上)
1995年の元旦。熊本市に住む佐武伸行さん(56)の自宅に、1通の年賀状が届いた。えとにちなんだイノシシの絵が添えられ、子どもの誕生を祝う言葉が並んでいた。
<結婚につづきお子さんが生まれたようで いろいろとおめでとうございます>
送り主は3歳年上で20年来の友人、佐野博さん。
神戸市東灘区に住んでいた5歳の頃に知り合った。温厚で年下にも威張らない近所の人気者。佐武さんは兄のように慕い、「佐野君」と呼んだ。一緒に駄菓子屋へ行ったり、はやりのゲームで遊んだりした。
その後、佐武さんは九州へ引っ越したが、佐野さんのことを忘れられなかった。
小学3年の頃、思い切って手紙を書くと返事がきた。プールで遊んだ思い出がつづられていた。その光景が目に浮かぶようで、何度も読み返した。
手紙のやり取りは続いた。中学1年の夏休みには初めての一人旅で神戸を訪れ、再会した佐野さんと近況を語り合った。
高校卒業後、再び神戸で会った時、佐野さんは地元の大手電機メーカーに就職し、エンジニアとして働いていた。一緒に行った銭湯で仕事の話をする佐野さんはかっこよく見えた。
95年の年賀状は、その後の惨禍を予想できるはずもなく、再会を待つ言葉で締めくくられていた。
<それではまたの機会に>
つながらない電話
1月17日朝。佐武さんは長男を連れて訪れた病院の待合室で、阪神大震災の発生を知った。テレビ画面には横倒しになった高速道路や、見渡す限りがれきとなった住宅街が映し出されていた。
佐野さんに電話をかけたが、つながらなかった。ただ、佐野さんが住む地域の人たちが小学校に避難する様子が映った。
「ここにおる。きっと生きている」。佐武さんはそう信じた。5カ月後、手紙を送った。
<これからの神戸の街の復興と、何より佐野さん一家の再起を願っております。もし何かあれば協力させてほしいので、電話でもハガキでも下さい>
電話がきた。佐野さんの姉、常岡美知子さん(73)からだった。
「はじめまして、佐野博の姉です。博は亡くなりました」
傷だらけの遺体
当時、佐野さんは神戸市…
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