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見えない者は見えている人に比べ、生涯で意識する音の数がいささか多いかもしれない。音を聞くだけでなく、触れたり、発したりすることで日常の行動が規定されるからだ。人生を音と旅しているようなものである。
若い頃、彼女の家に行き、ビールを飲んでいた。すると背後でさらりさらさらときぬの擦れ合う音がした。パサリと柔らかなきぬの落下音。もしやこれは、きぬ擦れの音。頭の中は幽玄と魅惑の源氏物語絵巻。そして小さな金属がパチリと弾けるような音がした瞬間、私は藤壺にすがらんばかりに両腕を伸ばして飛びついた。Tシャツ姿の彼女が言った。「洗濯もん、たたんでんねやん。邪魔せんといて」。窓からは静かに虫のすだく音だけが6畳の部屋に響いた。音に誘発された衝動によって失態を演じたわけである。
音の旅をさらにさかのぼって10代の頃。近所のレコード店でスピルバーグの映画をほうふつとさせるようなジャケットを見つけた。今まさに飛来せんとする巨大宇宙船の全貌がジャケットいっぱいに描かれていた。シンセサイザーのパイオニア、冨田勲先生のアルバムであった。レコードをターンテーブルに乗せ、針を置く。眼前に広がったのは、宇宙ステーションの光景。そして音が左右に動きまわる現象に、私はスピーカーの前で動けな…
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