連載

わが町にも歴史あり・知られざる大阪

人知れず建つ碑や地名などをよすがに、今につながる大阪の知られざる歴史を掘り起こします。

連載一覧

わが町にも歴史あり・知られざる大阪

/588 東高野街道/79 藤井寺市、羽曳野市 古墳巡り被葬者推理 /大阪

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
満々とした濠に浮かんでいるかのような岡ミサンザイ古墳=2022年7月25日、藤井寺市藤井寺で松井宏員撮影
満々とした濠に浮かんでいるかのような岡ミサンザイ古墳=2022年7月25日、藤井寺市藤井寺で松井宏員撮影

 大王墓のその後のモデルとなった津堂城山古墳(藤井寺市津堂)を2回にわたって歩いた。ついでなので、周辺の大王墓をいくつか巡ってみることにしよう。

 津堂城山古墳から南へ下り、近鉄藤井寺駅を越えると、岡ミサンザイ古墳(同市藤井寺)に行き当たる。墳丘が約240メートルもある巨大前方後円墳で、満々と水をたたえた幅50メートル以上の濠(ほり)が巡っていて、まるで水に浮かぶ小島のよう。

 宮内庁はここを仲哀天皇陵としている。仲哀は誉田御廟山古墳(羽曳野市誉田)の主、応神天皇の父で神功皇后の夫だ。だが、研究者の多くは岡ミサンザイを雄略天皇陵と考えている。宮内庁が指定する雄略陵は、津堂城山と岡ミサンザイの間に位置する島泉丸山古墳(同市島泉)だが、ここはその名の通りの円墳。この当時の大王墓は巨大前方後円墳なので、見当違いだ。

この記事は有料記事です。

残り1166文字(全文1523文字)

あわせて読みたい

マイページでフォローする

ニュース特集