/588 東高野街道/79 藤井寺市、羽曳野市 古墳巡り被葬者推理 /大阪
毎日新聞
2023/1/14 地方版
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大王墓のその後のモデルとなった津堂城山古墳(藤井寺市津堂)を2回にわたって歩いた。ついでなので、周辺の大王墓をいくつか巡ってみることにしよう。
津堂城山古墳から南へ下り、近鉄藤井寺駅を越えると、岡ミサンザイ古墳(同市藤井寺)に行き当たる。墳丘が約240メートルもある巨大前方後円墳で、満々と水をたたえた幅50メートル以上の濠(ほり)が巡っていて、まるで水に浮かぶ小島のよう。
宮内庁はここを仲哀天皇陵としている。仲哀は誉田御廟山古墳(羽曳野市誉田)の主、応神天皇の父で神功皇后の夫だ。だが、研究者の多くは岡ミサンザイを雄略天皇陵と考えている。宮内庁が指定する雄略陵は、津堂城山と岡ミサンザイの間に位置する島泉丸山古墳(同市島泉)だが、ここはその名の通りの円墳。この当時の大王墓は巨大前方後円墳なので、見当違いだ。
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