伝「護良親王の首級」公開 鎌倉幕府討伐で活躍、後醍醐天皇の皇子

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年に1度公開される護良親王と伝わる首級=山梨県都留市の石船神社で2023年1月15日午前10時35分、小田切敏雄撮影 拡大
年に1度公開される護良親王と伝わる首級=山梨県都留市の石船神社で2023年1月15日午前10時35分、小田切敏雄撮影

 山梨県都留市朝日馬場の石船(いしふね)神社で、鎌倉幕府が滅亡した建武新政の立役者である後醍醐天皇の皇子、護良(もりよし)親王(1308~1335年)のものと伝わる市指定有形文化財「石船神社の復顔首級」が公開された。年に1度、神社を運営する「宮世話」の交代に伴い、ご神体としてあがめている首級を確認する神事。15日にあった神社の初祭りで、神職が納めている本殿から首級を取り出し、新旧の宮世話や自治会関係者が首級の保存状況などを確認した。

 護良親王は仏門に入っていたが、後醍醐天皇が鎌倉幕府討伐のために企てた「元弘の乱」で僧兵を率いて活躍、その間に還俗(げんぞく)して護良と名乗った。建武新政府では征夷大将軍、兵部卿となったが、足利氏と反目して鎌倉に幽閉され、殺害された。

 地元の伝承によるとその首級は親王の寵妃(ちょうき)・雛鶴姫が保持して京を目指して甲斐国に至ったが、姫は現在の上野原市秋山周辺で死去。その後、親王の首級は石船神社のご神体としてまつられたという。

 都留市教委によると、首級は人の頭蓋骨(ずがいこつ)に箔(はく<金や銀を非常に薄い板のようにしたもの>)を押し付け、仏教遺物に多く使われる梵字(ぼんじ<古代インド文字>)を墨書きした上に小さな木片、漆を混ぜたような塑形(そけい)材で肉付けして、生きているように仕上げたものという。両眼は玉眼(水晶など)で、現在は左眼のみとなっている。この復顔技術はもっとも古い時代に属するものとして、市が文化財指定した。

 石船神社は都留市盛里地区にあり、都留市に合併前の旧盛里村は親王ゆかりの地。村名に護良親王の一文字をいただいて「護里」としたらどうかとの案も出たが、恐れ多いとして「盛」に落ち着いたという説もあるほど親王は地域に親しまれてきた。神社総代長の小俣平和さん(69)は「親王のことを伝えていきたい」と言い、次期宮世話代表の清水敏郎さん(64)は「(ご首級を)しっかり守っていきたい」と話した。【小田切敏雄】

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