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車いすテニスの国枝慎吾選手が現役引退を表明した。
国際舞台で活躍し続けてきた38歳の第一人者は、自身のツイッターに「もう十分やりきった」と記し、世界ランキング1位のまま競技生活に終止符を打った。
脊髄(せきずい)に腫瘍が見つかり、車いす生活となったのは9歳の時だ。その2年後、母親に勧められて車いすテニスと出合った。
17歳からツアー大会に参戦し、4大大会ではシングルス28勝、ダブルス22勝を挙げた。通算50勝は男子の世界歴代最多記録でもある。パラリンピックでも両種目で金メダルを計4個獲得した。
昨年、優勝経験のなかったウィンブルドン選手権を制し、全豪、全仏、全米の各オープン優勝とパラリンピックの金メダルを合わせた「生涯ゴールデンスラム」の偉業を達成した。
2006年に初の世界ランキング1位となり、国際的なプレーヤーであり続けた。右ひじ痛で手術を受けたこともあるが、努力と工夫でフォーム改良に取り組み、強い意志で挑戦を続けた。
車いすテニスという競技について、国枝選手は「健常者との垣根が低いスポーツだった」と振り返っている。
4大大会には00年代以降、車いすテニスの部が相次いで設けられた。そうした環境のもとで実績を積み、健常者のトップアスリートと並ぶ人気選手になった。
多様性を尊ぶ社会の機運が高まる中、国枝選手の活躍に共感を覚える人々が増えた。障害者スポーツへの理解が深まり、今では「パラスポーツ」という言葉が定着し始めている。
多くのスポンサーが国枝選手を支援したのも、こうした時流を抜きにしては語れない。大会の賞金額も飛躍的に上がったという。
「環境が変わっていくさまを身をもって体感できた」と国枝選手自らが述べるように、パラスポーツの価値は広まった。先駆者としての貢献度は計り知れず、次代を担う若い選手も育ってきている。
コートを離れても、パラスポーツの象徴的存在として、果たせる役割はまだまだ大きいはずだ。現役時代とは異なる形で競技の魅力を伝え、より多様な社会の実現につながる活躍を期待したい。