子育ては罰?何もあきらめず産み育てるには サイボウズ社長の答え
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妊娠や出産を公表することを長くためらっていた社会学者の富永京子さん(36)と、3児の父であることを明かし、育児休業や立ち会い出産、結婚による改姓などプライベートを明かし社会的発言をしてきたサイボウズ社長、青野慶久さん(51)。対談の後編では、どうすれば「産み、育てること」をもっと自由に選べるようになるのか、社会をどう変えていけばよいのかを考えてみた。【聞き手・小国綾子】
対談前編と今回の対談のいきさつについてはこちら
毎日新聞は、国際女性デー(3月8日)に向けて連載企画「産む、産まない、産めない~私の場合」をお届けします。産むことに関し、悩んだり決断を迫られたりした女性たち一人一人の物語を通じ、ジェンダー格差や妊娠・出産・中絶を巡る問題を考えます。「母親になって後悔した」「産まない決断をした」といった、みなさまの体験談をお寄せください。「つながる毎日新聞」(https://mainichi.jp/tsunagaru/)の専用フォームかLINEまで。
親になることで失うもの
――子どもを産んだら多くを失うのではないか、という不安は私も身に覚えがあります。私は不妊治療を経てようやく授かった子どもでしたが、それでも出産した夜、病室のベッドで得たものと失ったものの両方を数えて、泣きました。「失ったもの」で一番大きいと感じたのが「仕事面での自由」でした。
富永 実は私も出産した夜、病室で泣きました。ただし、私は「得たもの」と「失ったもの」の両方を数えたのではなく、「失ったもの」ばかり数えていましたが。
産休中が一番仕事していた、というのも不安の裏返しだったと思います。でも、青野さんも2週間の育休中は不安だった、と著書に書いてますよね。
青野 いやあ、バカみたいですよね。「帰ったら机があるだろうか」と不安になっていました。社長のくせに。でも、僕にとって、職場を離れるというのは初めての体験だったから、怖かったんです。育休に入る前夜も、「あしたから俺、会社に来ないんだ。ええええ、まじか、どんな日々が待っているんだろう」と。
――育休が明けた職場復帰の日は緊張しました?
青野 そりゃもちろん。久しぶり過ぎて。
――社長でも「怖い」なら、誰だってそうなんでしょうね。
青野 絶対そうだと思います。特に男性の多くは職場が自分の「居場所」と考えているだろうから、それがある日突然なくなるのは、とても不安なはずです。
「会社人」から「社会人」へ
――でも一方で、価値観も変わっていく。青野さんはあるインタビュー記事の中でこう答えています。<家事や育児から学ぶことは多い。仕事だけでは関わりのなかった病院や学校、パパ友やママ友の世界が広がった。以前の僕は会社人であり、社会人ではなかった。僕は育児を通じて社会を知ることができ、経営者としての意思決定の水準も上がったと思う>。そして、男性こそ「社会進出」が必要だ、とも。
青野 えらそうなことを言っちゃいましたねえ……。でも実際、育休や時短を3度取得し、そのたびごとに自分の価値観が変わっていきました。今ではそうやって職場を離れることが怖くなくなりました。
富永 私はこの1年間で、「意外と人がやってくれる」ということを知りました。自分がいなくてもちゃんとやってくれる人がいる。職場組織への信頼感が増したように思います。
青野 僕もです。ワークフローの決裁の権限委譲をし、2週間の育休を終えて職場に戻ってみたら、「ああ、僕がいなくても会社は回るんだ!」と。ちょっと残念な気持ちもありましたけど。安心もできました。
富永 「俺がいないと会社が回らない」というのは、マッチョイズムでありパターナリズムなのかもしれませんね。
青野 それ、ありました。世界を背負っているみたいな。「世界の平和は俺が守る!」みたいな。極端にいうとそういう感覚。
「世界の誰かがやってくれればいい」
富永 私は出産後、秘書を雇い、院生にも仕事を手伝ってもらうようにしました。そうすると、自分がグーグル・ストリート・ビューのピンになった気分なんです。指定された時間にその場所に行けば、どの仕事も勝手に回っていく。ちょっと残念に感じましたが、結局、研究も、私が全部しなくても、誰かがやってくれれば、ちゃんと進むんだなあと。
もしかしたら、出産前の私は仕事に対して傲慢だったのかもしれません。私が研究し、業績を上げ、自分の分野に貢献しなきゃ、と思い込んでいた。でも今は、問題意識を引き継いでくれる院生や、共通の関心を持つ世界の誰かがやってくれればいい、と感じられるんです。
青野 すごい! メタ視点ですね。
富永 ……と思いつつ、それでも、2カ月の産休だけで、育休は取らずに復帰した私なんですけどね。
――富永さんは出産前日まで講演し、取材も受けていたんですよね。
富永 やはり仕事を手放したくない、という思いが特に出産前や産休中はすごく強かったんだと思います。
でも、私が妊娠や出産を公表しなかったのは、ほかにもいろいろな理由があったように思います。
――<…
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