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昨年の暮れ、江戸で北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)を掲げて名高い千葉道場で、若くして塾頭となった土佐出身の剣術の名人が、伊予松山藩を訪れていた、という話を、ヒスイは耳にしていた。
彼女が暮らす家には、四国を旅するおへんろや、藩を越えて行き来する商人や飛脚らを通じて、ちまたの情報がしぜんと集まる。
加えて、ヒスイの祖母が、藩主の側近であり、藩校明教館(めいきょうかん)の教授である大原観山(おおはらかんざん)と幼なじみだった。観山は、ときおり家に遊びにきて、城内ではなかなか口にできない話まで、愚痴まじりに聞かせてくれることがあった。
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