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ミャンマークーデター

ミャンマー国軍がクーデターを起こし、アウンサンスーチー氏らを拘束。市民や国際社会からは抗議と批判が相次いでいます。

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戦闘で亡くなった友、焼かれた家…ミャンマー人留学生が憂える祖国

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ミャンマー国軍によるクーデターから2年にあわせて原爆ドーム前で開かれた追悼集会で抗議の3本指を掲げるアウンチーミィンさん=広島市中区で2023年2月1日午後3時29分、岩本一希撮影
ミャンマー国軍によるクーデターから2年にあわせて原爆ドーム前で開かれた追悼集会で抗議の3本指を掲げるアウンチーミィンさん=広島市中区で2023年2月1日午後3時29分、岩本一希撮影

 ミャンマーで2021年に国軍がクーデターで政権を奪ってから1日で2年。ミャンマーの人権団体「政治犯支援協会」の報告によると、クーデター以降、1月31日までに2940人が犠牲になったとされる。そんな中、広島から祖国の民主化を願うミャンマー人がいる。平和学を学ぶ大学院生、アウンチーミィンさん(27)だ。母国で抵抗運動を続ける仲間たちとの連帯の思いを示そうと、名前や顔を出すリスクを覚悟の上で追悼集会を企画。1日、母国や家族から遠く離れた広島市中区の原爆ドーム前で市民らとともに祈りをささげた。

 ミャンマー中央部のマグウェ地方で生まれ、7歳の時に最大都市ヤンゴンに転居した。ミャンマーは過去、長年にわたり軍政下にあった。軍政に違和感はなく、今から思えばプロパガンダばかりを流すテレビを見て「ミャンマーは平和。軍が正しいのだ」と思っていた。アウンサンスーチー氏らによる民主化活動は知っていたが、「政治の事は口に出せなかった」と言い、家族の中で政治の話はタブーという認識もあった。

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【ミャンマークーデター】

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