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ウクライナ侵攻

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から1年。長期化する戦闘、大きく変化した国際社会の行方は……。

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「大国」「帝国」の過去にこだわるロシア 地政学的孤立の“予言”

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ソ連軍の勝利から80年となる記念式典で演説するプーチン露大統領=ボルゴグラードで2023年2月2日、AP
ソ連軍の勝利から80年となる記念式典で演説するプーチン露大統領=ボルゴグラードで2023年2月2日、AP

 ウクライナ侵攻が始まってまもなく1年。ロシアはなぜ、民族的にも文化的にも近いこの隣国に侵攻することになったのか。侵攻を歴史の長いスパンにおいて考えると、国の未来よりも、「大国」「帝国」だった過去の「国のかたち」に執着するプーチン政権の姿勢が見えてくる。【モスクワ大前仁】

 「ロシアは西に向かう旅を終えた」。プーチン政権で長くウクライナ政策を担当したスルコフ大統領補佐官(当時)は2018年に発表した論文でそう唱えた。5年近くたった今、その指摘は意味深長に思える。

 一般的にロシアの歴史は、9世紀末から今のウクライナの首都キーウ(キエフ)を中心に繁栄したキエフ・ルーシ(キエフ公国)に端を発すると言われる。キエフ・ルーシは13世紀にモンゴルの侵攻によって滅ぼされ、それ以降、ロシアは15世紀まで「タタールのくびき」と称されるモンゴルの支配下に入る。

 やがてモンゴル支配から脱却したロシアはモンゴルの影響を社会に内在させつつ、東方シベリアへと領土を拡大、多民族国家ロシアの原形を築く。17世紀にはロマノフ朝が成立。帝政ロシアは欧化を進め欧州の一大強国に発展していった。1917年のロシア革命でロマノフ朝は滅ぼされ、ソ連が成立。91年のソ連崩壊後、現在のロシアに至る。

 スルコフ氏はロシアについて、13~17世紀の「最初の400年間は東に向かい」、…

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【ウクライナ侵攻】

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