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ウクライナ侵攻が始まってまもなく1年。ロシアはなぜ、民族的にも文化的にも近いこの隣国に侵攻することになったのか。侵攻を歴史の長いスパンにおいて考えると、国の未来よりも、「大国」「帝国」だった過去の「国のかたち」に執着するプーチン政権の姿勢が見えてくる。【モスクワ大前仁】
「ロシアは西に向かう旅を終えた」。プーチン政権で長くウクライナ政策を担当したスルコフ大統領補佐官(当時)は2018年に発表した論文でそう唱えた。5年近くたった今、その指摘は意味深長に思える。
一般的にロシアの歴史は、9世紀末から今のウクライナの首都キーウ(キエフ)を中心に繁栄したキエフ・ルーシ(キエフ公国)に端を発すると言われる。キエフ・ルーシは13世紀にモンゴルの侵攻によって滅ぼされ、それ以降、ロシアは15世紀まで「タタールのくびき」と称されるモンゴルの支配下に入る。
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