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広島・長崎原爆

1945年8月、広島・長崎へ原爆が投下されました。体験者が高齢化するなか、継承が課題になっています。

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吉永小百合さん朗読が転機 「奇跡の出生」受容25年 感謝の詩作も

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自身を取り上げてくれた助産師、三好梅代さんの墓前で手を合わせる小嶋和子さん=広島市東区で2023年2月9日、梅田麻衣子撮影
自身を取り上げてくれた助産師、三好梅代さんの墓前で手を合わせる小嶋和子さん=広島市東区で2023年2月9日、梅田麻衣子撮影

 母親の胎内で原爆に遭い、原子野の街の片隅で、生を受けた人がいる。そんな生い立ちが注目を浴びるあまり、戸惑いを感じたこともあった。しかし、いま残された時間が限られる中、自分の命をつないでくれた人たちへの感謝を、詩を通じて伝えようとしている。

「生ましめんかな」重荷にも

 傷ついた人たちが身を寄せ合う、暗がりの地下室。一人の女性が産気づき、女の子が産声を上げた。赤ちゃんを取り上げたのは、重いやけどで高熱に苦しんでいた助産師だった。死と隣り合わせの中、新たな命の息吹は人々に光を与えた。

 1945年8月8日、原爆投下で焦土と化した広島で生まれた小嶋和子さん(77)=広島市南区=は2023年2月上旬の夕方、市内の墓地にいた。墓に眠るのは、極限の状況下で自分を取り上げてくれた助産師の三好梅代さん。墓石の汚れをそっと拭い、ピンクのチューリップを供えた。年に何回か訪れている墓前で、「お久しぶりですね」と語りかけ、手を合わせた。

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【広島・長崎原爆】

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