特集

東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

特集一覧

「記憶のない私は何もできない?」 母と向き合った14歳の決意

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
東日本大震災の津波で被災した宮城県女川町の実家跡地で長女瑚白さんと話す武田志乃さん(左)=同町で2023年2月12日午前10時37分、百武信幸撮影
東日本大震災の津波で被災した宮城県女川町の実家跡地で長女瑚白さんと話す武田志乃さん(左)=同町で2023年2月12日午前10時37分、百武信幸撮影

 <当時の記憶がない私には何もできないと思っていました>

 宮城県石巻市立桃生(ものう)中学校2年の武田瑚白(こはく)さん(14)は、夏休みに書いた作文に胸の内をつづりました。まだ2歳だった「あの日」の記憶はほとんどありません。

 東日本大震災の発生から間もなく丸12年になります。この春からは小学校の全学年が「震災後生まれ」です。当時を知らない世代にも震災を身近な出来事と受け止めてもらい、将来の災害から命を守るためにはどうすればいいのでしょうか。

 瑚白さんが生まれ育った石巻市は2011年3月11日の大震災で津波にのまれたり、避難生活で体調を崩したりして、約4000人が犠牲になりました。当時、暮らしていたアパートは津波の被害を免れ、両親とも無事でした。でも、隣町の女川町にあった母志乃さん(45)の実家は流され、同じ町に住んでいた曽祖父母や叔母らが亡くなりました。

この記事は有料記事です。

残り2583文字(全文2966文字)

【東日本大震災】

時系列で見る

関連記事

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る
この記事の筆者
すべて見る

ニュース特集