次代への遺言~私が見た戦争

長岡空襲を生き延びた白石美千雄さん(86) 今も癒えぬ傷

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長岡空襲を経験した白石美千雄さん=新潟県長岡市で2022年11月27日、渡部直樹撮影
長岡空襲を経験した白石美千雄さん=新潟県長岡市で2022年11月27日、渡部直樹撮影

 「この傷は消えることは無いと思います」。1945年8月1日夜~2日未明にかけて、米軍は交通の要衝だった新潟県長岡市を焼夷(しょうい)弾を使い爆撃した。1488人の命が奪われた夜のことを、国民学校3年生だった白石美千雄さん(86)は、今でも鮮明に覚えているという。

 8月1日の夜、猛烈なサイレンが聞こえたかと思うと、まもなく投弾が始まった。父や姉2人と共に道の向かいにある防空壕(ごう)へ走った。しかし、入ろうとした直前に着弾。土煙が上がって壕は崩れ落ちた。

 父は燃えさかる家に引き返し、布団とラジオを持ち出してきた。既に周囲は火の海になっており、逃れられる場所は家の近くを流れていた柿川という小さな川だけ。父親にぬらした布団を掛けてもらい焼夷弾の火を避けながら、岸壁の石垣に沿ってコンクリート造りの橋の下まで逃げ込んだ。

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