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東日本大震災から12年となる11日、津波や東京電力福島第1原発事故に伴う犠牲者らの追悼行事が福島県楢葉町の宝鏡寺で営まれる。追悼行事を主導し、2022年12月に亡くなった住職の早川篤雄(とくお)さん(当時83歳)は、政府が目指す「原発回帰」を最期まで批判していた。早川さんの思いを知る人たちは、その遺志を胸に慰霊の日を迎える。
原発回帰の動きが出てきたのは昨年8月。岸田文雄首相は長期的な電力の安定供給に向けて、最長60年とされる原発の稼働期間の延長や次世代原発の新増設を検討する方針を打ち出した。政府が昨年12月22日に取りまとめた脱炭素社会の実現に向けた基本方針は、次世代原発へのリプレース(建て替え)を推進し、既存原発の60年超の運転を認めると明記した。今年2月28日には、60年を超える原発の運転延長を可能にする関連の五つの法改正案を閣議決定した。
宝鏡寺の追悼行事は21年3月11日、平和や核廃絶を願うために早川さんが共同代表だった市民団体が始めた。福島第1原発事故に伴う避難の末に亡くなった人や津波犠牲者を追悼し、8月6日には広島原爆の犠牲者らに手を合わせてきた。
早川さんは国語教師として働く傍ら、福島第1原発稼働翌年の1972年から、安全性に不安が残る原発の在り方に警鐘を鳴らす反原発の立場から活動を続けてきた。福島第1原発事故後には「ふるさと喪失」の慰謝料などを避難住民らが東電に求めた訴訟の原告団長に。国基準を上回る賠償を命じる判決(22年3月確定)を得て、同年6月には東電から謝罪を受けた。
早川さんと活動を共にしてきた元県議の伊東達也さん(81)によると、早川さんは肺を患い入退院を繰り返し、一時退院した12月に、原発回帰の動きについて「また安全神話だ。許せない」と憤った。顔を紅潮させた表情を、伊東さんは忘れられずにいる。
早川さんは同月29日に肺気腫で亡くなった。政府が基本方針をまとめた1週間後だった。妻千枝子さん(79)は「夫は昼夜関係なく皆のために働いた。被災者に寄り添うと言いながら原発に回帰する政府は、古里をなくし家族がばらばらになった人たちを何だと思っているのか」と憤る。
11日の追悼行事は、早川さんを悼む機会でもある。伊東さんは「原発事故に翻弄(ほんろう)された市民は心に傷を負ったままだ。原発の被害を繰り返さない思いを受け継ぐ覚悟だ」と話した。【柿沼秀行】
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