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東日本大震災からきょうで12年となる。沿岸部を襲った大津波と東京電力福島第1原発事故などにより、関連死を含めて2万2000人以上が犠牲となった。
今も約3万1000人が避難生活を強いられている。そのうち9割は福島の住民だ。放射線量の高い帰還困難区域が広範囲に及ぶ自治体では、多くの住民が戻らず、復興が遅れている。
政府はこの区域のうち「復興拠点」と位置付けたエリアの除染を進めている。だが、区域全体の1割に満たない。
拠点外についても、希望者が戻れるように環境を整える方針だが、除染の範囲は帰還希望者の自宅や周辺道路などに限られる見込みだ。全域除染を望む住民には戸惑いがある。
失われた地域のきずな
福島県浪江町は、こうした現状を象徴する自治体だ。現在の居住人口は事故前の1割以下の2000人弱にとどまる。帰還困難区域が県内で最も広く、町域の8割を占めることが大きなハンディとなっている。
「一部だけ除染されて一人で戻っても、山村の暮らしは成り立たない。国はまず地域コミュニティーを維持できる環境を整備すべきだ」。県内で避難生活を送る佐々木茂さん(68)はそう主張する。
震災前は、浪江の山あいにある津島地区の東部に住んでいた。集落では、お盆が近づくと住民が総出で道の草刈りをするなど、協力して地域の営みを守っていた。
だが、今は津島の全域が居住できない状態にある。佐々木さんは住民650人が国と東電を相手取った訴訟の原告団副団長だ。線量を事故前の水準に戻す「原状回復」を求めているが、1審では認められず、控訴審で争っている。
原発事故で暮らしが一変した人たちの神経を逆なでするような政策の転換が昨年あった。
岸田文雄政権は最長60年とされる既存原発の運転期間を実質的に延長し、次世代型への建て替え推進も打ち出した。事故以来の「脱原発依存」の旗が降ろされようとしている。
佐々木さんは「津島がまだこんな状況なのに、政府は福島の問題を終わったことにしようとしている」と憤りを隠せない。
町民の間には、原発回帰の動きが事故の記憶を風化させると懸念する声もある。
語り部団体「浪江まち物語つたえ隊」は震災翌年から、事故直後の混乱や避難生活の苦労などを紙芝居にし、県内外で上演してきた。団体を設立した小沢是寛(よしひろ)さん(77)は「事故を忘れないように取り組んできた今までの活動は何だったのか」と嘆く。
体を壊し、医療環境が不十分な町に戻ることは諦めた。妻と2人で暮らす避難先では近所付き合いが乏しく、どちらかが一人残された時を思うと不安になる。
小沢さんは「友達も親戚もばらばらになった。福島は今も多くの課題を抱えていることを知ってほしい」と訴える。
教訓忘れた政府に憤り
原発事故に早く区切りをつけたい政府と、長引く事故の影響から逃れられない地元住民。両者の意識には大きな隔たりがある。
廃炉には数十年かかるとみられている。国などの住民アンケートによると、帰還をためらう理由として、病院や商業施設の不足のほか、原発の安全性への不安を挙げる人は少なくない。
第1原発の敷地内にたまり続けている処理水は、今春以降に海洋放出される見通しだ。だが、漁業者らの風評被害への懸念は強い。東電は昨年末、被害が生じた場合の賠償基準を公表したが、理解が得られるめどは立っていない。
県内各地の除染で集められた汚染土などは大熊、双葉両町の中間貯蔵施設で保管され、2045年までに県外へ搬出して最終処分されることになっている。しかし、受け入れ先は決まっていない。
こうした解決の難しい問題が地域の将来に重くのしかかる。
住民は古里を奪われ、住む場所をなくしただけではない。親しい人と交わって暮らす幸せや安心も失った。事故から12年になっても、喪失感は癒えていない。
原発事故は終わっていない。
政府は原発回帰を急ぐのではなく、住民一人一人の苦難を直視すべきだ。どこに身を寄せようとも、人とのつながりや生きがいを見つけられるよう、支援に力を入れる責任がある。