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ウクライナ侵攻

ロシアによるウクライナへの軍事侵攻から1年。長期化する戦闘、大きく変化した国際社会の行方は……。

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政権批判に転じたプーチン氏“生みの親” その真意を読み解く

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毎日新聞のインタビューに応じた生前のグレブ・パブロフスキー氏=モスクワで2019年2月22日、大前仁撮影
毎日新聞のインタビューに応じた生前のグレブ・パブロフスキー氏=モスクワで2019年2月22日、大前仁撮影

 2月末、あるロシア人の政治学者が静かに生涯を終えた。2000年代初頭にプーチン露大統領の権力掌握を手助けしたが、後にたもとを分かった。「プーチン大統領の生みの親」とも呼ばれたこの人物は、隣国ウクライナへの侵攻をどう思っていたのか。4年前に記者が取材した当時の発言を紹介しながら、考えてみる。

 グレブ・パブロフスキー氏(享年71)は、独裁国家だったソ連邦が崩壊し、その後に誕生したロシアの変貌を体現するような生涯を送った人物だ。

 ソ連時代のウクライナ共和国の南部オデッサに生まれる。政治学者として頭角を現すが、地下出版での刊行物などが反ソ的活動との罪に問われ、1980年代にロシア北部に流刑にされた時期もあった。

 91年にロシアが誕生すると、その人生は急転する。メディアなどでの職を経て、政治コンサルタントに転じ、当時のエリツィン大統領の再選(96年)に貢献。その後は国内でそれほど知られていなかったプーチン氏の陣営に加わり、2000年の大統領選に向けたイメージ戦略に携わった。

 「意図的にプーチン氏の謎の部分を強調した」。パブロフスキー氏は後に米紙ワシントン・ポストにこう語るなど、謎めいたプーチン氏の人物像を前面に出し、国民の関心を引こうとしたという。同じ年の米大統領選では、政治コンサルタントのカール・ローブ氏がブッシュ(子)共和党候補の当選に貢献していた。キャンペーン展開の類似点が指摘され、パブロフスキー氏は「ロシア版ローブ氏」とも呼ばれた。

 この時期のロシアの政界や社会は、ソ連崩壊後の混乱から抜け切れていなかった。そのため、安定を取り戻すことを優先する思いから、パブロフスキー氏はプーチン氏の大統領就任後、強権的な統治体制も是認した。

 長く連携を取り続けたプーチン、パブロフスキーの両氏だが、11年に決別の時を迎えた。…

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【ウクライナ侵攻】

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