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その目は、宙を舞う砂を見ていた。うなるようなショベルカーのエンジン音と、アームを左右に揺らす車体のガタガタという音が響く。アームの先に付けられた、土砂をすくうバケットの隙間(すきま)から振るい落とされる砂を、女性はじっと見つめていた。背後に大津波で被災した校舎があり、周りでは公園の整備工事が進められていた。はたからは、女性は土木工事に携わる一人と見えただろう。だがその目は、砂に混じっているかもしれない骨を捜していた。娘たちが生きた証しを、捜していた。
東日本大震災の発生から12年を迎えた3月11日。震災で亡くなった人たちの十三回忌の法要が各地で営まれた。宮城県石巻市の大川小学校には県外からも多くの人が足を運び、被災校舎の前で手を合わせた。今は献花台が設けられたその場所で、2年ほど前まで親たちが我が子の手掛かりを求めて重機で土を掘り、捜索を続けていたことを知る人はどれほどいるだろう。あの日の大津波で児童70人と教職員10人が死亡し、児童4人の行方が今も分からない。
かつて懸命に捜索に当たった校舎の前を、鈴木実穂さん(54)=同県東松島市=と夫の義明さん(61)は足早に通り過ぎた。二人は、長男で6年生だった堅登(けんと)さん(当時12歳)を亡くし、4年生だった長女の巴那(はな)さん(同9歳)を今も自らの手で捜している。大地震が発生した午後2時46分、法要会場から少し離れた場所で黙とうした。
大津波が子どもらを襲ったとみられる午後3時37分ごろには、巴那さんら行方不明の児童4人を思い、ハート形の風船を空に放った。それから車に乗り込み、かつて自宅があった長面(ながつら)地区の先、北上川が太平洋に注ぐ河口の尾崎(おのさき)地区で車を止めた。実穂さんは、巴那さんと堅登さんのために作ってきたお弁当を波打ち際に浮かべた。知人は花を手向けた。
義明さんは「2人は今も小さい時のままで(世の中の)時間についてはいかれねえ。でも、追い掛けていかないと」。実穂さんは「親の願いが届くように、と思ってお弁当を流したんだけど、最近は2人が近くにいてくれる気もしていて……」と話した。
もう一度、この手で抱きしめたい――。…
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