連載

森と海からの手紙

人の暮らしが自然と乖離していく時代。森と川と海から聞こえてくるささやきを萩尾信也客員編集委員がつづります。

連載一覧

森と海からの手紙

1000年の神木が見守った湧水の里 熊本・浜町

  • ブックマーク
  • 保存
  • メール
  • 印刷
「妙見さん」での早朝のラジオ体操=熊本県山都町で2023年3月3日午前6時36分、萩尾信也撮影 拡大
「妙見さん」での早朝のラジオ体操=熊本県山都町で2023年3月3日午前6時36分、萩尾信也撮影

 陽光に、木々がもえぎ色に衣替えを始めた。小川ではオタマジャクシが踊り、フクジュソウの黄花が土手を彩る。3月上旬の熊本県山都町浜町(はままち)。宮崎県境に連なる九州脊梁(せきりょう)山地の懐に抱かれた町である。

 春を迎えた浜町の一角に「妙見(みょうけん)さん」と呼ばれる湧水(ゆうすい)公園がある。平安中期に阿蘇大宮司友仲(あそだいぐうじともなか)が神社を創建。湧水を「東の御手洗(みたらい)」としたと伝えられる。公園では長年、休日を除く午前6時過ぎからラジオ体操が行われている。

 <♪両手ば上さん上げっち、背中伸ばし運動から、手ば振って、膝ん曲げ伸ばし♪>

 熊本弁の歌詞に合わせて体を動かすのは、造り酒屋の大おかみ、山下弘子さん(85)に金光教の橋本教嗣教師(85)と妻寿子さん(82)、郷土史家の田上彰さん(70)の4人組。10年近く町に通う私も、訪れた際は欠かさず顔を出した。

     ◇

 湧水の傍らにそびえ立つご神木の「妙見さんの大ケヤキ」が倒壊したのは、2003年1月12日の午後6時過ぎだった。樹齢1000年といわれ、幹回り9メートル、樹高33メートルで、国の天然記念物に指定されていた。

 「大相撲のテレビ中継が終わって間もなく、ジェット機が頭上を飛ぶような轟音(ごうおん)がして、外に出たら倒れとった。太か枝がうちの庭先まで飛び散っておったとですよ」。妙見さんの裏手の高台に居を構える橋本さんが当時を振り返り、寿子さんが言葉を継いだ。

 「倒壊した所には、以前は桶(おけ)屋さんがあったとです。ご主人が亡くなったのを機に、廃業して転居されて。町が更地にして、倒壊の翌日から公園にするための工事が始まる予定でしたが、家屋や人を傷つけることもなく最期を迎えてですね。『さすが、ご神木』と拝んだとですよ」

倒れた大ケヤキの前で記念撮影する住民ら=現熊本県山都町で2003年1月19日(田上彰さん提供) 拡大
倒れた大ケヤキの前で記念撮影する住民ら=現熊本県山都町で2003年1月19日(田上彰さん提供)

 倒壊のニュースは地元メディアが大きく報道した。町内外から別れを惜しむ人の列が続き、熊本日日新聞のコラムにはこう記されている。<まるで、弔問のように引きも切らず人が訪ねてきた>

     ◇

 ケヤキが芽吹いたとされる1000年前。このかいわいの様子を伝える古文書は残っていない。文献に出てくるのは、阿蘇家の居館が置かれた南北朝以降。江戸時代には、肥後(熊本県)から大ケヤキの下を抜けて日向(宮崎県)を結ぶ「日向往還」が整備され、塩や乾物を運ぶ人馬が往来し、宿場として栄えた。「旅人は、妙見さんの湧水で喉を潤し、ケヤキの木陰で足を休めたことでしょう。旅人の神『猿田昆古大神(さるたひこおおかみ)』の石碑もあります」。郷土史家の田上さんの解説だ。

 明治以降は農林業が細々と営まれていたが、昭和の戦後復興期に建設資材の需要が高まると、山林が現金収入をもたらした。山は切り売りされて、腹巻きに札束を詰めた山持ちが、朝から町の飲食店に詰めて、売買した。

大ケヤキ(中央右)を望む広場で行われた葬儀=現熊本県山都町で1927年3月16日(通潤酒造提供) 拡大
大ケヤキ(中央右)を望む広場で行われた葬儀=現熊本県山都町で1927年3月16日(通潤酒造提供)

 浜町がある旧矢部町の人口が3万人近くに達したのも、この時代だ。映画館が2館、造り酒屋が3軒で、デパートも2店。妙見さんから続く通りは「官公庁道路」と呼ばれ、営林署に専売公社、保健所や法務局が軒を連ねた。

 バブルはほどなくはじけ飛ぶ。円高が進むと安価な輸入材が国産材に取って代わり、林業は衰退。若者は職を求めて都市部に流出した。車社会到来で買い物客は近郊の大型店に向かい、商店街はシャッター通りに姿を変えた。過疎化と高齢化で財政難が進んだ05年には、旧矢部町は近隣2町村と合併し、山都町が発足した。

     ◇

 町の歴史を見守ってきた大ケヤキが倒壊して20年を経た、3月の昼下がり。体操仲間の弘子さんと寿子さんに誘われて、妙見さんの裏手の高台を散歩した。お浸しにする菜の花やセリを摘み、昔話に耳を傾けた。

 「昔は昼が近づくと、近所のお母さんたちが妙見さんに洗濯をしに集まり、世間話たい。夕方には野菜を洗いながら井戸端会議ばいた」「赤ん坊の産湯は、妙見さんの水を使ったもんたいね」

 「うちの旦那は子供の頃に、天秤(てんびん)棒に桶を下げ、五右衛門風呂や炊事用の水をくんで運んどったらしか」

 「放課後は、子供の遊び場じゃったね。ハエ(ハヤ)やドグラ(ドンコ)を釣って、焼いて食べる子もおった」「夏にはスイカやキュウリを冷やして、夜は蛍がきれいじゃった。今は子供も蛍も少のうなった」

 そして、2人は別れ際に、笑みを添えて言った。「年寄りばかりになったばってん、空気と水がおいしかこの土地で暮らすことができて、幸せばい」

 23年2月。山都町の人口は1万3532人で、高齢化率は50・8%に達した。そして、妙見さんの公園では、クローンとして保存してあったケヤキの苗が、丈を3メートルほどに伸ばしていた。【客員編集委員・萩尾信也】

あわせて読みたい

マイページでフォローする

この記事の特集・連載
すべて見る

ニュース特集