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1995年3月の地下鉄サリン事件後、オウム真理教の施設にいた100人以上の子どもが全国の児童相談所に一時保護された。学校に通わず、特異な教義の下で集団生活を送っていた子どもたちに児相はどう対応したのか。最多の53人を一時保護した山梨県の記録などから、その実態に迫る。
この連載は全3回です。
このほかのラインアップは次の通りです。
第1回 「これって誘拐?」保護された53人の子ども 教祖を神格化
第3回 「げんせのバカバカ」消えぬ教団の記憶、家族再会に喜びも
ドキュメント「オウムの子」(2)
一時保護されるまで、子どもたちは教団でどんな生活を送っていたのか。それは児童虐待ともいえる劣悪な環境だった。
山梨県旧上九一色村(現・富士河口湖町)にあった教団施設「第10サティアン」。児相が聞き取った記録によると、子どもたちはその2階で大半の時間を過ごした。
2階には中央壁側に祭壇があり、その前が広場になっている。子どもたちはそこで修行や勉強、食事などをした。祭壇に向かって左側の道場では、柔道や空手、合気道などの武術指導を受けた。県警が撮影した写真では、天井から複数のサンドバッグがぶらさがっている様子が分かる。
祭壇と道場の間には木で造られた2段ベッドがあり、約100人が使用できる規模だった。通路は大人がやっと通れるほどの幅しかない。迷路のような形状で「蜂の巣」と呼ばれた。
この建物で70~80人の子どもが生活し「お世話係」という女性信徒に世話や指導を受けていた。勉強を教えるのは「文部省」と呼ばれる組織の信徒。食事を運んでくるのは「師」という階級の大人だった。
走り回るゴキブリ、ネズミ…
内部は極めて不衛生だった。ベッド周辺は子どもが掃除することになっていたが、ほとんど誰もしなかった。強制捜査に入った警察官は「床は汚れすぎて、靴を脱いで上がれる状…
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