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北陸のユニホームが阪急そっくり 令和の甲子園に昭和の面影 センバツ

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北陸のエース・友広陸投手(左)と阪急の福本豊選手
北陸のエース・友広陸投手(左)と阪急の福本豊選手

 第95回記念選抜高校野球大会の初日の第2試合に登場する北陸(福井)は、白地に赤を基調としたユニホームがプロ野球・阪急(現・オリックス)にそっくりだと話題になっている。林孝臣(たかおみ)監督(40)に由来を聞くと、ワールド・ベースボール・クラシックの日本代表「侍ジャパン」で活躍する選手らの名前が挙がった。

 白地のユニホームに赤のアンダーシャツやソックス、胸には筆記体で大きく「Hokuriku」の字が躍る――。昨秋の北信越大会や明治神宮大会では、北陸が勝ち上がるたびに、ツイッター上で「ユニがまんま阪急ブレーブス」「令和によみがえる昭和ユニ」「阪急ブレーブスファンとしては、福本、山田、松永、ブーマーを思い出す……」といった反響が相次いだ。阪急がパ・リーグで圧倒的な強さを誇った1970年代などの時代を知るオールドファンの反応も多いとみられる。

北陸の友広陸投手=ハードオフエコスタジアム新潟で2022年10月22日、久保玲撮影
北陸の友広陸投手=ハードオフエコスタジアム新潟で2022年10月22日、久保玲撮影

 「ばれへんと思って変更したら、みんな(阪急のユニホームがモデルと)知っていて。たくさん取り上げられて驚いています」

 そう語るのは北陸の林監督だ。敦賀気比(福井)のコーチなどを経て2019年9月に就任し、4年目で初めて甲子園出場を果たした。ユニホームを変更したのは、就任の翌春の20年。それ以前はクリーム色を基調に濃紺のアンダーシャツ、胸には紫色のゴシック体で「HOKURIKU」の文字。1907年創部の伝統校らしく、クラシックなデザインだったという。

2016年夏の甲子園出場当時の北陸のユニホーム。クリーム色基調で、胸に紫色のローマ字で校名が入っていた=阪神甲子園球場で同年8月8日、川平愛撮影
2016年夏の甲子園出場当時の北陸のユニホーム。クリーム色基調で、胸に紫色のローマ字で校名が入っていた=阪神甲子園球場で同年8月8日、川平愛撮影

 当時の部員に新デザインの意見を募ると、「縦じまがいい」「胸の文字は漢字で」といった意見が多かった。同じ福井県の強豪で、林監督の母校である敦賀気比のイメージに引っ張られていたのは明らかだった。「俺がどこから来たのか分かってんのか、絶対あかんと却下しました」と笑う。

 そんな時、目に飛び込んできたのが阪急のデザインだった。阪急の歴史をくむオリックスの選手が、レギュラーシーズンのイベントで着用した復刻ユニホームだ。

1975年日本シリーズで日本一に輝いた当時の阪急のユニホーム=兵庫県西宮市の西宮球場で同年11月2日
1975年日本シリーズで日本一に輝いた当時の阪急のユニホーム=兵庫県西宮市の西宮球場で同年11月2日

 林監督は敦賀気比のコーチ時代、吉田正尚選手(米レッドソックス)や山崎颯一郎投手ら、多くの教え子をオリックスに送り出した。「あいつらが着ているの格好ええやんと思って。今まで福井に赤のユニホームはなかったし、昭和チックでレトロなのが、かえって格好良いなと思いました」

 メーカーにイメージを伝えて完成したデザインを、林監督は一目で気に入った。ちなみに、阪急が球団を譲渡してオリックスとして戦い始めたのは89年で、林監督は当時、小学校に入学した頃だった。「僕は阪急を知らない世代なので。はるか上の世代の人たちかと思っていたが、そんなことはなかったんですね」

 阪急の本拠地の西宮球場があった場所は、阪神甲子園球場と同じ兵庫県西宮市内。かつての阪急の雰囲気をまとう高校球児が聖地に登場するのも、不思議な縁といえそうだ。【伝田賢史】

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