警察庁長官狙撃事件 900ページの捜査文書入手 新証言と矛盾も
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警察庁長官狙撃事件を巡って毎日新聞に証言した元自衛官の男性が「狙撃犯」として挙げた中村泰受刑者は、名字のイニシャルから捜査本部内で「N」と呼ばれ、最後まで捜査線上に残った。毎日新聞は今回、特命捜査班が作成した約900ページに及ぶ「Nの捜査記録」を入手した。新証言と記録は符合する部分がある一方、矛盾点もあり、真相解明には時の壁と受刑者の健康状態が立ちはだかる。Nの記録と関係者の証言を基に、警察史に残る未解決事件を3回にわたって検証する。
この連載は全3回です。
このほかのラインアップは次の通りです。
第2回 「オウム信者犯行説」に固執した公安部 修正できなかった理由
第3回 独り歩きした犯人像 捜査混乱させた「身長180センチ」
捜査記録によると、中村受刑者は東大在学中に麻薬の不法所持が発覚し、1951年に自主退学した。その後、金融機関などに侵入して金庫破りを繰り返し、56年には東京都武蔵野市の路上で、職務質問してきた警視庁の巡査(当時22歳)の胸や頭に拳銃を3発発砲して殺害。現場から逃走したが、指名手配され約3カ月後に出頭して逮捕された。殺人罪などで無期懲役判決を受け、76年に仮釈放されるまで約18年間、千葉刑務所に収容された。
2002年11月には、名古屋市で銀行の現金輸送車を襲撃し、拳銃で警備員を撃ったとする強盗殺人未遂容疑で愛知県警に現行犯逮捕された。大阪市でも現金輸送車襲撃事件が発生していたことなどから、愛知県警、大阪府警と警視庁捜査1課が合同で捜査し、03年7~8月に受刑者の関連先を捜索した。この際、生活拠点としていた三重県内の知人名義の住宅から拳銃や長官狙撃事件をほのめかす詩が記録されたフロッピーディスクなどが見つかり、同庁捜査1課は受刑者の関与を疑うようになった。
一方、警視庁公安部が主体の捜査本部は04年7月7日、オウム真理教信者だった同庁元巡査長ら3人を狙撃事件の容疑者として逮捕した。捜査記録では、大阪府警の留置場で勾留中だった中村受刑者は同日、同庁捜査1課の聴取に応じ、オウム信者が逮捕されたと告げられると「完全に誤認逮捕」と述べ、自身が狙撃事件2日前に長官の自宅マンションを下見したと語った。結局、元巡査長ら3人は同年9月に不起訴となり、捜査1課は受刑者への聴取を続けた。08年3月、「長官狙撃を実行したのは私だ」などと受刑者が「自白」した供述調書が初めて作成され、同年5月の特命捜査班の発足につながった。
捜査記録の中には、捜査本部などへの報告用に作られた同年3月~10年2月の中村受刑者の「取り調べ結果」がA4判で計約270枚含まれている。それによると、米国で射撃訓練を積んだ受刑者は、オウム真理教によるテロに見せかけて警察トップを暗殺することで、教団への捜査を加速させようとしたと動機を語った。また、ともに襲撃計画を立てた支援役がおり、事件の1週間前から…
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