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Nの記録・警察庁長官狙撃事件

警察庁長官狙撃事件の捜査本部内で「N」と呼ばれた中村泰受刑者。入手した特命捜査班の「Nの捜査記録」や証言から事件を検証。

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Nの記録・警察庁長官狙撃事件

警視庁「オウムのテロ」主張 28年の壁高く未解決 長官狙撃事件とは

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国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃された現場=東京都荒川区南千住で、長谷川直亮撮影
国松孝次・警察庁長官(当時)が狙撃された現場=東京都荒川区南千住で、長谷川直亮撮影

 1995年3月30日午前8時半ごろ、国松孝次・警察庁長官(当時)が、出勤時に拳銃で撃たれた。小雨が降る中、東京都荒川区南千住6の自宅マンション「アクロシティ」Eポートの通用口から出て、秘書官と一緒に公用車に向かって歩き出した直後のことだった。

 狙撃犯は20メートル以上離れた場所から4発を発射し、国松長官の背中や大腿(だいたい)部などに3発を命中させ、現場から自転車で逃走。長官は搬送先の病院で約10リットルの輸血を受けるなど、一時は重篤な状態となったが、約2カ月半後に職務に復帰した。

 警視庁は南千住署に公安部長を本部長とする捜査本部を設置。犯行に使われた拳銃は、米コルト社の回転式拳銃「パイソン」と推定され、使用された弾は、体内に入ると先端がマッシュルーム状に広がって致命傷を与える「ホローポイント弾」という極めて特殊なものだった。

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