無実の叫び、57年 「無罪、願っている」 袴田事件再審確定
- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷

20日午後4時半、東京・霞が関。記者会見を予定していた袴田事件の弁護団が司法記者クラブに到着した。ちょうどその時、事務局長の小川秀世弁護士の携帯電話が鳴った。
相手は東京高検の検事。応答した小川弁護士の声は次第に大きくなった。念押しして電話を切り、会見場にいた支援者らに絶叫した。「特別抗告しないって!」。会見場は大きな拍手と「良かったー」という歓声に包まれた。情報は瞬く間に広がり、東京高検前で座り込みを続けていた支援者らは万歳を繰り返し「本当に良かった」と涙を流しながら抱き合った。
「検察官は立派なもんだ。よく腹を決めてくれた。負ける気はしていなかったが、安心した」。袴田巌さん(87)の姉秀子さん(90)は浜松市の自宅からオンラインで会見に参加し、事件発生から57年後の「吉報」を冷静に受け止めた。弁護団長の西嶋勝彦弁護士は「検察側は特別抗告してあがいても恥をかくだけで、世論の動向を見ていた。再審公判で、袴田さんの無実を明らかにしたい」と声を詰まらせた。
事件は1966年6月30日未明に起きた。静岡市(旧静岡県清水市)のみそ製造会社の専務宅で火災が発生し、焼け跡から、専務夫妻と中学生と高校生の子どもの計4人の遺体が見つかった。無理心中も疑われたが、遺体には刃物でつけられたとみられる傷があり、現金が奪われた形跡があったことから、静岡県警は強盗殺人・放火事件だと断定した。
県警は近隣の約1400人を対象に聞き取りを進めたとされる。約1カ月半後、工場に住み込んでいた当時30歳の袴田さんを逮捕。当初は全面的に容疑を否認していたが、逮捕から20日目に「自白」。静岡地裁の初公判では否認に転じた。地裁は死刑判決を言い渡し、80年に最高裁で確定した。
その後、事件は異例の経緯をたどる。…
この記事は有料記事です。
残り640文字(全文1387文字)