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第95回記念選抜高校野球大会に21世紀枠で初出場する城東(徳島)は、1902年創立の歴史ある県立高だ。しかし、硬式野球部は96年創部で誕生から30年に満たない。甲子園初出場までの歩みをたどると、創部の裏に一人の高校生のあふれ出す熱意があった。
「まるで悪夢のようだった」
城東の硬式野球部の初代主将・平田誠人さん(44)は、高校の合格発表の掲示の前でぼうぜんと立ち尽くしたことを覚えている。
徳島・生光学園中時代は軟式野球部で四国大会優勝経験もあり、高校では硬式野球部に入って甲子園を目指すつもりだった。しかし、当時の徳島の入試には学力の均等化を目的に合格者を各校に振り分ける「総合選抜制度」があり、希望した学校に進めるとは限らなかった。平田さんが合格したのは、硬式野球部がなかった城東だった。「まるで悪夢のようだった」
入学後はラグビー部や柔道部から誘われた。ただ、野球を諦めきれない思いがあり、軟式野球部に入部した。心は折れかけていたが、「自分が城東に入学したことにもきっと意味があるのではないか」と、前向きに捉えようとし始めていた。
軟式野球部のチームメートにも同じように硬式野球部で甲子園を目指したいと思う選手がいることを知った。夏休み前には校長に硬式野球部の設立を直談判したが、経費や手狭なグラウンドを理由に断られた。
だが、2年生の春に新しい校長が赴任したことで事態が好転した。どうしても諦めきれなかった平田さんの熱意が耳に届き、その年の冬に新年度から硬式野球部が発足することが決まった。「引退まで数カ月しかないと分かっていても、ラストチャンスで甲子園を目指す土俵に立てることだけで胸が躍りました」
初代監督には鳴門商(現・鳴門渦潮)を甲子園に導いた経験がある天羽博昭さん(65)が就いた。「彼の野球をしたいという熱い思いを聞いて、私も『よし、やらないかん』という気持ちになった」。翌年に後援会が発足するまでの間、自腹を切って道具や移動用バスなどを購入してチームを支えた。練習場となる河川敷のグラウンドは草むしりや土の入れ替えを施した。まともに練習ができるようになったのは創部から1カ月以上先だった。
恵まれた環境ではなかったが、96年夏の甲子園出場が懸かった徳島大会では初戦の2回戦で勝利した。3回戦で敗れたが、天羽さんは「希望を持てると人間は成長すると痛感した。そういう場所に巡り合え、教師冥利に尽きる」と語る。平田さんも「僕らができる精いっぱいをやりました、という気持ちで終われた」と振り返った。
当時の校誌に平田さんが寄せた文章には「後輩たちには甲子園に行ってもらいたい」の一文が残る。27年を経て、願いはかなった。
城東は初戦で東海大菅生(東京)と対戦する。平田さんは後輩たちにエールを送る。
「今を大切にかみ締めながら、全力ではつらつとプレーしてほしい」【下河辺果歩】
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