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震災めぐる「記憶」を「記録」に/下 きっと忘れてしまうから=回想録『わたしは思い出す』編者・松本篤

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回想録『わたしは思い出す』の本文。毎月11日にまつわる語り手の思い出を「わたしは思い出す」から始まる見出しとしている。小口は「つめ」と呼ばれる目印を階段状にレイアウトした辞書仕様
回想録『わたしは思い出す』の本文。毎月11日にまつわる語り手の思い出を「わたしは思い出す」から始まる見出しとしている。小口は「つめ」と呼ばれる目印を階段状にレイアウトした辞書仕様

 1000年に1度と言われた大地震のあとを、あなたはどのように生きてきましたか――。今年1月に刊行された回想録『わたしは思い出す 11年間の育児日記を再読して』(以下、本書)は、あるひとりの育児の記録と記憶に、その問いの答えを探る試みだ。仙台市の沿岸部に暮らすかおりさん(仮名)は、第1子を出産した2010年6月11日から日記を書き始めた。そんなさなか、あの大地震が……。自宅の一部が津波の被害に遭い、転居を余儀なくされたその後も、彼女は一日の終わりに、ひとりだけのダイニングで綴(つづ)り続ける。本書は、11年間すなわち4018日分の日記の再読をとおして本人が回想した語りを、再-記録化したものである。30万字超のモノローグはいかに紡がれたのか。かおりさんの聞き手を務め、本書の編集や構成を担当した立場から制作過程を振り返ってみたい。

 「10年目の3月11日をどのように迎えたらよいか、一緒に考えてほしい」。本書の発端は、20年7月に私が受け取った展覧会の企画依頼のメールだった。差出人は、せんだい3・11メモリアル交流館。東日本大震災の経験を学ぶ場として仙台市(若林区)の荒井地区に設置された公共施設である。私は約15年にわたり、8ミリフィルムや家族写真といった私的な記録の価値に着目したアーカイブ活動に取り組んできた。震災後10年…

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