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第95回センバツ高校野球

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センバツ甲子園 海星、強豪と互角の戦い 7年ぶり8強入りならず スタンド温かい拍手 /長崎

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【海星-広陵】広陵に敗れ、グラウンドを後にする海星の選手たち=中川祐一撮影 拡大
【海星-広陵】広陵に敗れ、グラウンドを後にする海星の選手たち=中川祐一撮影

 第95回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社など主催)第8日の27日、県勢の海星は2―3で広陵(広島)に敗れ、前回出場の2016年以来7年ぶりの8強入りはならなかった。海星は勝利を逃したものの、センバツ優勝3回を誇る強豪と互角の戦いを繰り広げた選手たちにスタンドから温かい拍手が送られた。【松本美緒、竹林静】

 序盤は、海星の加藤慶二監督が試合前に「離されないことが最低条件」と話していた通りの展開。海星は二回表、先頭の平尾幸志郎が左前安打で出塁。続く峯蒼一郎の犠打で二塁に進んだ平尾は、井坂陸翔(りくと)の二ゴロを相手が悪送球する間に先制のホームを踏んだ。平尾の父で元海星主将の吉隆さん(47)は、アルプススタンドで「ヒットを打った時はドキドキした。先制できてうれしい」と笑顔を見せた。

 さらに2死二塁で、吉田翔が初球を左翼前に打ち返し2点目。父裕志さん(49)は「相手は格上。全員でバットを振って点を取ってほしい。まずは一本出てほっとした」と語った。

 先発の吉田は粘り強い投球で、強打者が並ぶ広陵を四回まで零封。五、六回裏には犠飛で1点ずつ奪われたが、後続を三振などに打ち取った。

 七回裏には広陵に勝ち越し点を奪われるが、救援の高野颯波(そな)が2死二、三塁のピンチで、広陵の強打者・真鍋慧(けいた)をフルカウントから渾身(こんしん)の内角直球で三振に抑えた。高野の父満さん(44)は「何とか頑張ってほしい。最後まで自分の力を出し切ってほしい」と祈るように語った。

 スタンドでは、田川一心主将と中学時代から仲が良い応援部の水谷梨乃部長(17)らが「打席まで聞こえるくらい声援を送りたい」と演舞を続けた。海星は八回表2死から、田川が四球で出塁。スタンドの父直秀さん(47)は「まだまだこれから。食らいついてリードを奪ってほしい」と願ったが、尻上がりに調子を上げた広陵の先発・高尾響に後続が抑えられ、力尽きた。

 海星は二回に2点を先取した後、走者を出しながら3点目を奪えなかったことが響いた。2安打を放った山口頼愛(らいあ)は「チームの雰囲気は悪くなかったが、粘りきれなかった。これからは田川や(副主将の)平尾に頼りすぎず、3年全員でチームを引っ張ってさらに上を目指したい」と誓った。

けが乗り越え夢舞台 角野夢才志選手

 海星の角野夢才志(むさし)選手(3年)は、初戦の社(やしろ)(兵庫)戦での適時打に続き、広陵戦でも四球で出塁するなど粘り強くプレーした。

外野守備で返球する海星の角野選手=平川義之撮影 拡大
外野守備で返球する海星の角野選手=平川義之撮影

 広陵と同じ広島県内の呉市出身。社会人ソフトボールのコーチをしている父憲一さん(48)の勧めで小学3年から野球を始めた。「父の期待に応えたい」と、小6から中3まで毎日1000回の素振りを続けた。

 打撃を期待されて海星に入ったが、直後に右すねを疲労骨折。その後も得意の打撃を伸ばそうとがむしゃらに練習してはけがを繰り返した。加藤慶二監督から「結果にこだわりすぎて視野が狭くなっている」と言われたこともあった。

 2022年8月の現チーム発足時にけがが癒え、秋の県大会準決勝でチームを守備で救ったことが復調のきっかけになった。こだわりの強い打撃ではなく守備で活躍できたことで心の余裕が生まれた。打撃も上向き、加藤監督から「チームで一番練習をする泥臭い選手」と評価され、レギュラーの座をつかんだ。

 惜しくも広陵に敗れたが、スタンドから見守った憲一さんは「このチームは負けて強くなる。夏に向けて励んでほしい」と期待した。【松本美緒】

エラーを成長につなげる 田中朔太郎選手

 広陵戦に1番・二塁手で出場した海星の田中朔太郎選手(2年)の父茂さん(46)はオートレーサー。球児だった兄崇太さん(21)もオート選手の養成所入所試験に合格し、田中選手は「自分も負けていられない」と闘志を燃やしてきた。

二回裏、軽快な守備を見せる海星の田中選手=中川祐一撮影 拡大
二回裏、軽快な守備を見せる海星の田中選手=中川祐一撮影

 茂さんは飯塚オートレース場(福岡県飯塚市)に所属し、通算優勝49回を誇る。小学1年でソフトボールを始めた田中選手は、北九州市の自宅や近くのグラウンドで崇太さんと練習に励み、50メートル走のタイムを競った。

 弟の一成さん(14)も練習に加わり、茂さんは休日にノックをするなど手伝ってくれた。厳しい仕事をしながら家族への気配りを欠かさない茂さんを、田中選手は「父みたいになりたい」と尊敬する。

 崇太さんは、オート選手養成所の受験資格である「体重60キロ以下」を満たすため20キロの過酷な減量に取り組み、2度目の受験で合格。その苦労を知る田中選手は「自分も甲子園で活躍する姿を家族に見せたい」と誓い、センバツに臨んだ。

 広陵戦では失策もあったが、田中選手は「自分の実力不足」と受け止め、「センバツは成長できる舞台だった。エラーを次につなげたい」と前を向いた。【松本美緒】

〔長崎版〕

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