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センバツ実況40年 MBS退局の赤木誠アナ 届けた幾千万の球児の名

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40年にわたりセンバツを伝え続けてきた毎日放送の赤木誠アナウンサー=阪神甲子園球場で2023年3月24日午後1時50分、中田博維撮影 拡大
40年にわたりセンバツを伝え続けてきた毎日放送の赤木誠アナウンサー=阪神甲子園球場で2023年3月24日午後1時50分、中田博維撮影

 熱戦が続く第95回記念選抜高校野球大会(毎日新聞社など主催)。センバツを40年にわたって伝えてきた毎日放送(MBS)アナウンサーの赤木誠さん(64)が、27日の高知―専大松戸(千葉)戦で最後の実況を務めた。「入社時は1試合でも(実況を)できたらと思っていたが、64歳までやらせてもらった。最後も緊迫したいい試合だった」と感慨深げだった。65歳になる10月に同社を離れる。

 「ダブルプレー、取れますか。(遊撃手の)中山、(二塁手の)宮尾、そして(一塁手の)広川。取りました」「いい当たりです。捕った、捕った。専大松戸、レフト上迫田」……。実況に選手名を多く入れるのが赤木流。最後の試合でも、歯切れの良い語り口で選手名を次々と読み上げた。「名前は極力、入れるように心掛けてきた。『投手、投げました』ではなく『投手赤木、投げました』というように」。甲子園は高校生にとって貴重な舞台。多くの人に知ってもらいたいとの思いからだ。

 赤木さんは九州大を卒業した1981年、MBSに入社。大学時代、家庭教師先の父親が福岡の民放局のスポーツアナウンサーだったことが志望のきっかけだ。高校野球に加えプロ野球や高校ラグビー、陸上競技などのスポーツ中継に携わり、2018年の定年退職後もシニアスタッフとして実況を続けてきた。

 MBSのセンバツ報道は、かつてのテレビ(地上波)とラジオから、CS放送のGAORAとインターネット中継が中心になった。赤木さんが実況したのは「通算で200試合ぐらい。もっと多いかな」。実況デビューは入社翌年の54回大会2回戦の横浜商(神奈川)―愛知戦だ。愛知に彦野利勝選手(元中日)、横浜商に荒井幸雄選手(元ヤクルトなど)らプロ入りする選手がおり、「(プロ入り後の)荒井君に『あの試合が最初だった』と明かすと驚いていた」と笑う。

 66回大会(94年)1回戦で石川・金沢の中野真博投手が達成した史上2回目の完全試合も担当した。「中野投手のスライダーに相手の江の川(現石見智翠館、島根)打線が全然合わず、途中から達成するだろうなと思った」

 斎藤佑樹投手(元日本ハム)を擁し夏を制することになる早稲田実(東京)と、関西(岡山)の引き分け再試合(06年の78回大会2回戦)も思い出深い。「再試合の九回表1死一塁、関西の右翼手・熊代剛君が打球をそらして逆転された。泣きじゃくって……。試合後に雪が降ってきて、『空から両チームの健闘をたたえるかのような白い雪が落ちてきました』と話した。感動的だった」と振り返る。

 「『春はセンバツから』という言葉がある。今後も野球シーズンの開幕にふさわしい、球児たちのはつらつとした大会であってほしい」【中田博維】

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