ディズニーの秘密 開園40周年 「これでもか」徹底したこだわり

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おなじみのミッキーマウスやドナルドダックも登場して、にぎやかな東京ディズニ-ランドのオープニングセレモニー(奥はシンデレラ城)=千葉県浦安市で1983年4月15日
おなじみのミッキーマウスやドナルドダックも登場して、にぎやかな東京ディズニ-ランドのオープニングセレモニー(奥はシンデレラ城)=千葉県浦安市で1983年4月15日

 東京ディズニーランド(TDL)=千葉県浦安市=が1983年4月15日に開園してから、40周年を迎える。2001年に開園した東京ディズニーシー(TDS)とともに、日本最大のリゾート施設であり続けている。「夢と魔法の王国」はなぜ人々をひきつけるのか。

 ディズニーの秘密・後編では、ディズニーランドの魅力の一つとなっているキャスト(従業員)のおもてなしについて探ります。
 ディズニーの秘密 開園40年 キャストとゲスト、幸せの循環

 「年間入場者1000万人」

 開園当時、TDLを運営するオリエンタルランド(OLC)社が掲げた目標だ。

 コロナ禍前の18年度には過去最高の3255万人(TDSとの合計)が来場したTDL。だが、東京湾に面する小さな漁師町だった浦安の沖の埋め立て地に誕生した当時は、ディズニーの知名度がまだ高くなかった。

 開園当時の社長、高橋政知氏(故人)は「目標を発表したとき、マスコミは冷たい目で見ていた」と振り返り、「私も、当初はこんなにうまくいくとは思っていなかった」と打ち明けている(日本経済新聞社「私の履歴書 経済人35」)。

 OLCの元社員で、開園時にマーケティングを担当していた渡辺喜一郎さん(64)は、東京都の人口にも匹敵する途方もない年間目標にぼうぜんとしたというが、「いけるんじゃないか」という予感もあったという。「素晴らしいものができた」という自信があったからだ。

「とにかく本物を」徹底したこだわり

 高度成長とともに急増したレジャー需要に対応しようと、東京湾岸の埋め立て造成事業の浦安地区に、大型レジャー施設建設の構想が浮上。60年、京成電鉄と三井不動産を中心にOLC社が設立された。

 構想の核となる施設としてディズニーランドの誘致が決まり、74年に米ディズニー社と基本合意。80年12月に着工した。55年に米国で誕生したディズニーランドの初の海外進出だった。

 高橋氏は建設中「いくら金がかかっても構わない、とにかく本物を造ってほしい。本場のロサンゼルスやフロリダに勝るものを、という信念でやってほしい」とスタッフに指示した。

 米国から派遣された「凝りに凝らないと気が済まない技術集団」のデザイナーや技術者の注文に応えているうち、当初は1000億円を予定していた建設費は膨れ上がり、総事業費は1800億円を超えた。

 シンボルであるシンデレラ城を中心にディズニー映画の世界を忠実に再現したTDLは、ジェットコースターなどの乗り物がメインだったそれまでの遊園地と違い、「テーマパーク」という概念を日本に持ち込ん…

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