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産む、産まない、産めない~私の場合

産むことに関し、悩んだり決断を迫られたりした女性たちの物語を通じ、ジェンダー格差や妊娠・出産・中絶を巡る問題を考えます。

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産む、産まない、産めない~私の場合

愛せず我が子と「一緒に死のうか」 独りぼっちだった女性の願い

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かなさんの胸で眠る、生まれたばかりの頃の次女=かなさん提供
かなさんの胸で眠る、生まれたばかりの頃の次女=かなさん提供

 我が子なのに、可愛いと思えない。どうやって一緒に死のうか。誰も自分のことを分かってくれない。2人目を産んだ時、女性(39)は何度もそう考えた。【宇多川はるか】

うつの始まり

 子どもは年子で2人ほしい。九州の企業に勤めるかなさん(仮名)は長女を産んできっかり1年後、次女を産んだ。キャリアを築く大事な時で、「職場にも迷惑をかけたくない」と考えた。切れ目なく職場に復帰することも願って、35歳までに2児の母となった。だが、すぐに計画が狂った。

 次女を帝王切開で出産した3日後、せきをした瞬間に「ブチッ」という音がした。助産師に確認してもらうと、帝王切開の縫い目が裂けていた。

 急きょ別の大学病院に搬送され、もう一度、おなかを縫い直すことに。そのさなか、長女が肺炎を患って入院した。家族がバラバラになった気がした。

 「無理をして、年子で産もうとしたから、こうなってしまったのかもしれない」

募る自責の念

 数週間の入院を経て、次女と再会した。長女の産後と比べると、とても細くてきゃしゃに見えた。「元気がない。障害があるのかもしれない」。急に、本気で、そう思い始めた。

 「一回、そういう考えになると、子どもが怖く見えてしまって。そんなのおかしいことなんです。障害があっても、家族みんなで生きていけばいい。でも、あの時はとにかく、怖くなってしまいました」

 1カ月健診で、さらに不安が増した。心臓の弁の異常を指摘した医師に「なんで帝王切開で、年子で早く産んじゃったの」と言われた。

 その後の検査で異常はないことが分かったが、何気なく放たれた言葉に、追い詰められた。その後も自責の念が募る。

 次女が風邪をひいたために受診した小児科で「この子は目も合わさないし、声も出さない」と漏らした。「確かにそうだね」との医師の相づちを聞いて、涙が止まらなくなった。「何もかも、私のせいだ」

 産後3カ月にかけて、心の状態は悪化した。朝に目が覚めても、「死にたい」と思って起き上がれない。昼ごろ起きて、夜になると「明日は大丈夫」と思う。その繰り返しだった。

どんどん「独りぼっち」に

 「死にたい」と思う日が来るなんて、考えたこともなかった。それなのに毎日、「この子とどうやったら死ねるか」と思案する自分がいた。

 次女はおとなしくて、あまり世話の苦労がなかったのに、「この子は普通ではない」との思いから逃れられなくなっていた。

 順調に育つ次女を見て、かなさんの親は「普通だよ。暇だからそう思うのよ」と諭した。だが、ちょっとしたことが気になってしまう。

 夫は仕事の忙しさや職場への影響も考えて、2年連続では育休を取得しなかったが、できる限り家にいて話を聞いてくれた。

 でも、どんどん「独りぼっち」になっていくように感じた。「長女は、この時期『アー』と言っていた。何で次女は言わないんだろう」。理解してくれない。誰も分かってくれない。

「大丈夫」の積み重ね

 自分が「産後うつ」だとは思っていなかった。自覚したきっかけは、各自治体で実施されている産後家庭への助産師や保健師の派遣事業だった。

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