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「ここはうちの畑だったんだよ」。2022年11月、浪江町出身の矢吹次男さん(73)は、寒風が吹きすさぶ中、うっそうとした茂みを指さして言った。隣にある家も伸び放題の草木に覆われ、野生動物に荒らされていた。山あいの故郷は開拓前の原生林に戻りかけていた。
東京電力福島第1原発事故を受け、矢吹さんは、家族と県中部の本宮市の仮設住宅で避難生活を送り、後に市内に家を構えた。古里は浪江町、旧津島村。放射線量が高く、政府が優先的に除染した特定復興再生拠点区域(復興拠点)からも外れた山奥にある手七郎(てしちろう)集落だ。標高は高いところで600メートル以上にもなる。戦後、矢吹さんの両親ら旧満州(現中国東北部)から引き揚げた人たちが、くわ1本で原野を開拓し、木を切って炭を焼き生計を立てた。矢吹さんも20代こそ関東で働いたが、30歳で地元に戻ると木挽職人として山と向き合った。
しかし、林業の衰退と共に過疎高齢化が進み、「このままじゃ限界集落(65歳以上が過半数)になっちまう」などと話す住民もいた。集落で皆の老後の収入源にしようと、山菜や果樹の栽培に力を入れ始めた矢先、原発事故が起きた。約100人の住民は散り散りになった。
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