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フォトジャーナリストの安田菜津紀さんが、自身の出自を探る旅を記した「国籍と遺書、兄への手紙―ルーツを巡る旅の先に」(ヘウレーカ)を出版した。これまでも亡父が在日コリアン2世だったと明かしているが、SNS(ネット交流サービス)上で「朝鮮人が日本の政治に口をだすな」などと「罵声」を浴びせられてきたという。「血縁が家族の全てだとは思わない。むしろそんな呪縛に抗(あらが)いたいとさえ思う」と語る安田さんは、自分のアイデンティティーや、取材してきたヘイトの現場に何を思ったのだろうか。21日から東京、京都、広島で開催される出版記念イベント(https://d4p.world/news/20835/)を前に、安田さんに聞いた。【聞き手・白川徹】
――自分のルーツをたどろうと思ったきっかけは。
◆高校2年生の時、パスポートを取得する際、戸籍を取りに行きました。私が中学2年生の時に亡くなった父の欄に見慣れない「韓国籍」という言葉を見つけ、固まりました。国籍なんて意識に上ったことがないくらい、ごく当たり前に自分は日本人だと思っていました。「自分は何人(なにじん)なのか」という問いが一気に押し寄せてきたように感じました。
父は1948年、戦後の混乱期に生まれました。困窮した複雑な家庭だったということもあり、うまく教育の機会につながることができなかったらしいです。とにかく自分は日本人になりきるということに徹してきた人で、母にも自分の出自についてはほとんど語っていませんでした。
母も私も分からない。死んだ人に尋ねることもできない。でも、やっぱり思うわけです。「なんで話してくれなかったの」「自分は家族として身近な存在ではなかったの」。どうして語ってくれなかった、と思ったのがこの旅の原点でした。
――安田さんはヘイトの現場を取材してきました。
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