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北海道・江差沖の日本海に沈没した幕末の江戸幕府軍の旗艦「開陽丸」。そこから引き揚げられた大量の遺物の中に、正体のわからない古文書があった。誰が、何のために積み込んだのか。謎は沈没から約150年後、偶然の出合いを機に解かれることになる。
開陽丸は幕臣の榎本武揚(えのもとたけあき)らが乗ったことで知られ、1868年、戊辰(ぼしん)戦争の最後の戦いとなる箱館戦争の前に沈没した。1974年に始まった引き揚げ調査で、船体の一部や大砲など約3万3000点の遺物が見つかり、日本の水中考古学の先駆けとなった。
ただ、遺物の中には、塩水で劣化したり貝などが付着したりして、何だったのか、誰の持ち物かわからないものもある。
77年に引き揚げられた古文書もその一つだ。遺物に挟まれて丸まった和紙の塊として見つかり、その多くは波で洗われ、失われていた。
専門業者が1枚ずつはがして復元を試みると、約90枚の断片に分解できた。4種類の古文書であることまではわかったが、詳細は不明のままだった。
謎を解くきっかけになったのは、2019年のことだ。
佐藤賢一・電気通信大教授(科学史)は、北海道函館市で開かれた学会のついでに、約3000点の遺物を展示している開陽丸記念館(江差町)を観光で訪ねた。
遺物を眺めているうち、「海の中の古文書」と説明書きのある、一枚の和紙の断片が目に留まった。
和紙の中央部分にあった「有三乗方毎面若干問積 術曰置毎面三自乗」という記述に、心当たりが…
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