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日本で最も長い歴史を誇る女性誌で、今春創刊120年を迎えた「婦人之友」は不思議な雑誌だ。明治から令和まで五つの時代をまたぎ、女性の生き方や社会的地位は劇的に変化したのに、大きなモデルチェンジもなく何世代にもわたり読み継がれている。浮き沈みの激しい雑誌業界で、なぜそんなことが可能なのか。取材をしていくと、この一見地味な月刊誌の「すごみ」が見えてきた。【清水健二】
5月15日にあった月曜定例の編集会議。座が盛り上がったのは、今後の誌面で特集する予定の「しみ抜き」の話題だった。
白ワインと赤ワインでは使う薬剤が違う。血はお湯より水の方が落ちる。泥汚れは洗ってもダメ……。編集部員が取材で仕入れたノウハウに、それぞれが感想や体験を口にする。「こういう雑談があって、生活実感のある雑誌ができます」と羽仁(はに)曜子編集長。コロナ禍前は、午後3時に仕事の手を休める「おやつの時間」もあったという。
「○○県の△△さん」といった長年の読者の名前も、会議で当たり前のように出てくる。老舗ならではの読者とのつながりの深さを感じさせる。
シンプルで心豊かな生活――。同誌が目指すのは、端的に言うとそうなる。婦人之友社を創設した羽仁もと子さん(1873~1957年)は「家庭は簡素に社会は豊富に」と表現した。
生活社会史やメディア史の観点で「婦人之友」を研究する跡見学園女子大講師の小関孝子さんによると、同誌は「『生活の合理化』というキーワードを、社会環境の変化に合わせて柔軟に解釈してきたのが特徴」という。
家電がなかった明治時代、家事は主婦にとって重労働だった。皆で知恵を出し合って家事時間を短縮し、趣味や読書など自由に使える時間を捻出しようと、婦人之友は提案した。創刊翌年には、予算を組み、費目別に計算するという画期的な家計簿を考案し、主婦が家計管理の主体となれるよう促した。「もと子の目標は、家庭の中での女性の地位向上だった」と小関さんは解説する。
戦争の足音が近づくと生活合理化は「質素・倹約」の考えと結びつき、戦後は衣食住を立て直して新時代を迎える旗印となる。高度成長期には核家族化の進行を背景に、結婚して都会暮らしを始めた専業主婦たちに家事のノウハウを伝える教科書の役割を果たした。
そしてバブル崩壊や2度の大震災を経た現代は「モノを持ち過ぎない丁寧な暮らし」「SDGs」といった時代のニーズと呼応する。
コロナ下の閉塞(へいそく)感が強い時期には「森ぐらしに教わる 小さな毎日を楽しむ知恵」などの特集が組まれ、最新の今年6月号では環境に配慮した「プラスチックフリー生活」の実践例を紹介している。
一方で、流行のコスメやファッション、芸能人のゴシップなどは一切扱わない…
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