- ツイート
- みんなのツイートを見る
- シェア
- ブックマーク
- 保存
- メール
- リンク
- 印刷
福島県を代表する商工業都市の郡山市に、170年の伝統を誇る和菓子がある。「柏屋薄皮饅頭(まんじゅう)」だ。日本三大まんじゅうの一つと称され、店舗の隣に建立した「萬寿(まんじゅう)神社」には縁結びや子宝授かりを祈りに多くの参拝者が訪れる。
一口ほおばると、小豆と生地の黒糖が絡む上品な香りが広がってきた。まんじゅうは、一般的に生地とあんが1対2の割合だそうだが、柏屋の薄皮饅頭は1対4・5と、あんがたっぷりだ。

京都で修業を積んだ初代が「病に薬がいるように、健やかな者に心のなごみがいる」との思いから、1852年に奥州街道の郡山宿で出したのが始まり。6代目の本名(ほんな)創(そう)さん(42)によると、仙台市など県内外に計21店舗を構え、年間1300万個以上を売り上げる。
ところで、まんじゅうが日本に伝わった当初は肉まんだったが、当時の僧侶らは四つ足動物食を禁じられていた。このため約700年前、中国から渡来した林浄因(りんじょういん)が小豆を甘味料で炊き、あんを包む技法を考案した。現在形の始祖である。
昭和の時代になって和菓子の研究者が「三大」と紹介したのが、林の子孫が伝えてきた「志ほせ饅頭」(現在の本社は東京都内)と、1837年に岡山市の城下で生まれた「大手まんじゅう」、そして柏屋の薄皮饅頭だ。平成に相次ぎ出版された雑学本にも掲載されている。
話を変えよう。林をまつる林神社が奈良市にあり、1957年に郡山市に分社されたのが「萬寿神社」だ。柏屋によると、林は日本人女性と結婚した際、宴で「紅白まんじゅう」を初めて配ったことでも知られている。
萬寿神社も縁結びの神として知られてきたが、ここ十数年来は、妊娠を祈願する参拝者が増えてきた。境内は「子宝」を求める絵馬が圧倒的だ。不妊に悩む夫婦が多い世相の表れかもしれないが、6代目は「あんを真心で包み全ての人に幸福をと願った初代の思いが、今の代にも受け継がれている」と推し量る。
柏屋は64年、あんを生地に包むまんじゅう自動製造機械を開発した。「和菓子界の産業革命」だったという。「ロボットに……」と批判の嵐も受けたが、その後5代目が苦心を重ねて職人の「真心」技にも負けない機械に改良。今では、99%の薄皮饅頭が工場で作られているそうだ。
では残り1%は?
萬寿神社が鎮座する店舗を訪ねると、防菌のガラス越しに職人が、見事な手さばきで薄皮饅頭をこさえていた。「効率化を優先しながらも、170年の技を伝承する『文化』は絶やさない」。そう話す6代目の表情は自信に満ちあふれていた。【根本太一】
福島県郡山市
明治維新後の開拓で発展し、人口は約32万人(5月1日現在)。ラーメンチェーン「幸楽苑」本社などに加え、工業団地が居並ぶ。柏屋の薄皮饅頭は、ふるさと納税で市の返礼品に指定されている。