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お寺のご本尊と、そこのご住職は似てくる――。仏像好きの友人たちとの宴席で、そんな仮説が浮上することがある。根拠も裏付けもないが、「何となくそうかも」と思う例がいくつか思い浮かぶから不思議だ。姿形が似ているとは限らない。あの仏像が動き出したらきっとこんな人なんだろうな、というケースも多い。
私にとってそんなお寺の一つが、奈良市の旧市街地・奈良町の一角にある璉珹寺(れんじょうじ)だ。
本尊の阿弥陀(あみだ)如来立像(鎌倉時代、県指定文化財)は「女人裸形阿弥陀」の通称で知られる。裸形、つまり裸のお姿で、50年に1度だけ取り換えられる本物のはかまを腰につける。寺では、上東門院(藤原道長の娘・彰子)の願いを受けて女人の姿に作られ、仏教で「成仏できない」とされてきた女性でも極楽往生できることを示している、と伝えている。
璉珹寺を拝観できるのは毎年5月だけ。風爽やかなこの季節、女人阿弥陀、そして下間景甫(しもつま・けいほ)住職(74)を慕う参拝者が全国から訪れ、境内はにぎわいを見せる。
このご住職、ちょっとしたドラマになりそうな人生を歩んできた。
実家は奈良県南部、かつての西吉野村(現五條市)にある。小学生の時、新任の若い男の先生がやってきた。中学校でも3年間担任だったその先生はその後、奈良市内に異動していったが、景甫さんが高校を卒業した日、友人たちと吉野を訪ねてきた。「景子さん(景甫さんの俗名)をお嫁にください」。それが、やがて…
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