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東日本大震災

2011年3月11日に発生した東日本大震災。復興の様子や課題、人々の移ろいを取り上げます。

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解体予定だった幼稚園舎を「復興の拠点に」 福島で同窓会発足

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東京電力福島第1原発事故で休園に追い込まれた小高教会幼稚園=福島県南相馬市小高区本町1で2023年5月25日午後0時44分、尾崎修二撮影
東京電力福島第1原発事故で休園に追い込まれた小高教会幼稚園=福島県南相馬市小高区本町1で2023年5月25日午後0時44分、尾崎修二撮影

 東京電力福島第1原発事故に伴う避難指示が解かれた町では、子どもが激減した影響で多くの学校や幼稚園が再開しないまま解体された。地域のシンボルが消えて喪失感を抱く住民は少なくない。そんな中、福島県南相馬市小高区では、小さな私立の幼稚園舎を交流や伝承の場にしようと、住民自らが保存や活用に動き始めた。【尾崎修二】

警戒区域内、子ども激減

 JR小高駅から西に延びる目抜き通りにある「小高教会幼稚園」は、日本基督教団の教会「小高伝道所」(創立1903年)に併設し、約70年前に開園した。信者に限らず街中の商店の子らが通い、震災当時は約30人の園児が在籍した。東日本大震災時は津波を免れたが、原発20キロ圏内の小高区は、原則立ち入り禁止の警戒区域となり、子どもたちもバラバラになった。園も休園し、2016年の避難指示解除後も同区の子どもの数は震災前に遠く及ばず、園舎は運営元の法人の判断で取り壊される方針だった。

 転機が訪れたのは22年春。同教団で震災復興ボランティアに携わってきた飯島信(まこと)さん(75)が東京から小高に移住し、小高伝道所と浪江伝道所(福島県浪江町)を兼務する形で、震災後初の常駐の牧師に就任した。飯島さんは…

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