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PEACE DAYに賛同します

国連が定めた「国際平和デー」(9月21日、通称ピースデー)に賛同する人たちの等身大の思いを伝えます。

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PEACE DAYに賛同します

9月21日を国民の祝日に ピースデー財団代表理事・井上高志さん

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ピースデー財団の井上高志代表理事 拡大
ピースデー財団の井上高志代表理事

 東京・代々木公園でピースデーの9月21日、「一般財団法人PEACE DAY」(ピースデー財団)は著名なアーティストらを招いて、今年も野外フェスティバルを開催する。代表理事の井上高志さん(54)はLIFULL(東証プライム上場)の創業者で社長でもある。「世界平和」を初めて意識したのは「友人と居酒屋で生ビールを飲みながら、人生の目標に話が及んだ時だった」と振り返る。

出発点は居酒屋

 井上さんは大学卒業後、マンションデベロッパーのリクルートコスモス(当時)に就職した。しかし、この業界には、情報不足の顧客を言いくるめ、自社の利益を優先するような不動産会社も存在した。誰もが安心して住まいを選ぶことができるようにと「不動産業界の変革」を掲げて独立したのが、当時26歳の1995年。「利他主義」を社是とし、日本初の不動産・住宅情報サイト(現在のLIFULL HOME’S)を誕生させた。

 そして、創業から約7年経過し、会社経営に手応えを感じていたころ、「いずれ業界の変革を成し遂げた後、自分はその先に何をすべきだろう」と立ち止まって考えるようになったという。そんな時、リクルートで同期だった友人と居酒屋で交わした、こんな会話が転機となった。

 「お前の夢は何だ?」と挑発する友人。「俺には壮大な目標がある。お前は何だよ」と井上さん。友人は「俺は世界平和だ。井上はどうするんだ」とたたみかけてきた。上から目線にカチンときた井上さんは「なんだよ、俺と一緒じゃないか。俺も世界平和だよ!」。それまで漠然と考えていた「世界平和」が初めて口から出たのだという。

リレーする「善意のバトン」

「大学時代に彼女にふられて、スイッチがONになりました」 拡大
「大学時代に彼女にふられて、スイッチがONになりました」

 ここに至るまで、「小さな話」の積み重ねがあった。いくつか挙げると――。

 大学時代はシーズンスポーツサークルに所属しながらアルバイト生活という「ちゃらんぽらんな毎日」を送っていた。そんなある日、交際していた女性に「ニューヨークに行って、ニュースキャスターになる修業をする。だからお別れして」と言われ、自分には未来に目標がないことに気付き、がくぜんとした。

 就職活動で、数千人を採用する大手企業には受かっても、新卒採用が数人の有望なベンチャー企業には落とされた。刹那(せつな)的な自分の生き方が採用担当者に見透かされ、過去に成し遂げたことが何もないことを痛感した。

 リクルートコスモスに入社する際、「5年以内に独立して、その後、一生かかってでも一大事業を創り上げる」との目標を掲げた。そして、マンション販売を通じて若い夫婦と出会ったのが、その後の人生に大きな影響を与えたという。自社の扱う物件とマッチングがうまくいかず、井上さんは、他社物件を含めて探し回って希望にかなった提案をした。他社物件を購入することとなり上司には怒られたが、手土産を持ってきた夫婦は「すてきな物件にめぐり合えた」と満面の笑みを浮かべて感謝してくれた。「頭のてっぺんからつま先まで幸せな気分になった」と井上さん。「この笑顔こそ仕事のやりがいだ」と確信する。

 独立時に、事務所として雑居ビルの小さな一室を無償で貸してくれた叔父は「賃料をいずれ返そうなんて考えなくていい。でも、もし余裕ができたら、他の人を同じように助けてほしい」と言ってくれた。そして自分も「善意のバトン」のリレーに参加したいと思うようになったという。

西アフリカ・ベナンで見た貧困

「世界を平和にするためのパワーを持ったものを産業に育てたい」 拡大
「世界を平和にするためのパワーを持ったものを産業に育てたい」

 居酒屋で「世界平和」を宣言した数年後、会社の事業を通じ、西アフリカ・ベナン共和国出身のタレントで、後に駐日特命全権大使となるゾマホン・ルフィンさんと出会った。ゾマホンさんと一緒にこの国を訪れ、車で数千キロの距離を走り、現状を見た時のことをこう語っている。

 「電気はなく夜は真っ暗。食糧が不足している。水は川からくんで、緑色がかった、どろっとしたものを飲んでいました。だから住民は寄生虫やウイルスで病気になってしまう。おなかの中で大きくなった寄生虫が内臓を破ったり、皮膚を破って外に出たりする。腹をくだして脱水症状で死んでいく。そういう世界をこの目で見て、貧困から抜け出すのを手伝わなければと思いました」

 私財を投じてベナンに学校と井戸をつくった。水くみや農作業の手伝いで通学できない子どものために、学校に来れば給食を食べることができ、校内の井戸で水をくんで自宅に戻るサイクルを確立するのを手伝った。また、ハンドクリームの原料となるベナン産のシアバターを日本へ輸入し「FEEL PEACE PROJECT」の製品化に携わったり、栄養価の高い植物「モリンガ」の栽培を支援したりして、現地に雇用を生み出してきた。

 世界には援助を必要とする国がたくさんある。「なぜベナンなのか」と聞かれると、こう答える。「友人との縁がつないでくれた。目の前の課題を解決できずに、世界の課題は解決できない」と。

課題解決へ技術的アプローチ

 世界平和を単なるほら話ではなく、現実のものとするにはどうすればいいか、井上さんは真剣に考えてきた。技術的なアプローチが、生活に必要なコストを極限までゼロに近づける「限界(追加)費用ゼロ社会」の実現だ。「イノベーションによって、電気、ガス、水道がなくても暮らすことができ、住む場所や時間、お金の制約から人類を解放すれば、究極的には世界から貧困と戦争をなくすことができる」と井上さん。

 2021年に一般社団法人ナスコンバレー協議会を設立し、代表理事に就任した。約70社が参画している。空気から飲み水をつくる技術や、その水を繰り返し使う水循環システム、太陽光パネルや小規模風力発電などをパッケージにしたオフグリッド住宅、そして自動運転……。栃木県那須地域のナスコンバレーと名付けた8平方キロ(東京ドーム170個分の広さ)の私有地で、最先端テクノロジーの実証実験が重ねられている。

野外フェスでムーブメントを

「自立分散型のネットワークで100万人がつながっていくのを目指しています」 拡大
「自立分散型のネットワークで100万人がつながっていくのを目指しています」

 そして、もう一つのアプローチが、世界平和のムーブメントを起こすこと。ピースデーの第1回フェスティバルは18年、千葉・幕張海浜公園で開かれた。今年のフェスティバルにも参加する歌手の一青窈さんや、ロックバンド「LUNA SEA」のギタリストのSUGIZOさんら著名アーティストを招き、参加者は「7000人以上」(主催者発表)。井上さんは翌19年、ピースデー財団の設立にあたり、代表理事に就任した。

 ――どんな構想でフェスを始めたのですか。

 ◆パパやママが小さな子どもを連れて草原に遊びに来て、アーティストの音楽を楽しんだり、トークステージで世界平和を熱く語る姿に触れたり、体験型イベントを楽しんでもらったりするイメージです。平和という『シャワー』を1日浴びて、家族そろってトボトボと帰り道に『やっぱり、平和って大事だな』と感じてもらえれば、と。敷居をなるべく低くして、世界平和のためにできることは何もないと思っている人が、自分たちの側についてほしいと思いました。

 ――過去5回の手応えと課題は。

 ◆1回目に5000人を集めることができたら、翌年は5万人に、さらに次の年は10万人に増やすことをビジョンとして持っていました。ゆくゆくは100万人を集めることが目標でした。でも、思うようには増えなかった。コロナ禍もあり、20年、21年にオンラインで開催したときは延べ1万人です。その後、方針を変えました。自分たち主催のイベントに人を集める『中央集権型イベント』ではなく、各地の取り組みと『自立分散型』のネットワークでつながっていくことを目指しました。昨年はオンライン、オフラインのハイブリッドで開催し、参加者は1万人弱です。今後は数千人から1万人の参加者を維持しながら、ゆくゆくは100万人の市民や企業、団体とつながることを目指しています。

政治的パワーを持つ活動に

 ピースデー財団は21年10月から、年1回のフェスティバルに加えて、毎月21日にオンラインイベント「ピースデーマンスリー21」を開催している。国内外で平和活動や人道支援活動などに携わっている人を招き、22回(23年8月末現在)を数える。出演者は、タリバン政権移行後のアフガニスタン人の国外脱出などを支援してきた認定NPO法人「REALs」の瀬谷ルミ子理事長やミャンマーで拘束された映像作家の久保田徹さんら幅広い。

 ――出演者はいずれも、道を歩いていて目の前で子どもが殺されようとしているのを見ると、助けようとする人ばかりのようです。

 ◆そうでしょうね。看過できないから、命がけで守ろうとするでしょう。一方、ピースデー財団としては、そんな人たちの活動を広く知ってもらいたい。100万人の市民がネットワーク化されたプラットフォームとして、活動する人を支援したり、世論を形成したりする役割を果たしていきたいと思っています。

 ――今後はどんな活動を展開しますか。

 ◆最初はフェスに集まってもらうことだけを考えていました。だけど、これからはもっと具体的なアクションにつながっていくことをやりたいと思うようになってきました。例えば、偽造も改ざんもできないデジタルデータ『NFT』(Non-Fungible-Token、非代替性トークン)の発行です。この『ピースNFT』を購入した人が、政治的意見を言う時は、#(ハッシュタグ)をつけて拡散する。仮にピースNFTの所有者100万人が一斉に意見を表明すると、社会に大きなインパクトを与えることができます。

 もう一つ、中長期的に取り組んでいきたいことがあります。9月21日を世界で初めて祝日に制定する国を日本にすることです。日めくりのカレンダーをめくると、『世界平和の日』と書かれている。実現に向けてはハードルは高くて、これ以上祝日を増やそうとすると、法改正が必要になります。世論を形成して政治を動かさなければならない。まず日本が世界で初めてこの日を祝日にし、ゆくゆくは全世界の国で祝日になれば、と。そのための方策を練っています。なお、フェスの開催日は『9月21日』にこだわってきました。平日開催だと集まることができる人は少なくなりますが、ピースデーを知ってもらうためです。今年のピースデーは木曜日で、来年は土曜日です。多くの方々に代々木公園に来ていただきたいです。

 ――ただ、ロシアによるウクライナ侵攻があり、現実は厳しい。「悪」についての認識を。

 ◆『悪』はなくならないかもしれません。狩猟採集民族だったときから生存競争のためには人間は暴力を使って自身の命をつないできた。DNAレベルで記録されているとも言われています。先日、戦争がなぜなくならないかを特集したNHKスペシャルを興味深く見ました。オキシトシンという脳内伝達物質があり、本来、母乳に多く含まれているものです。愛情ホルモンとか共感ホルモンと呼ばれています。このオキシトシンが我が子を守るために作用し、マウスの実験では、産んだばかりの子ネズミと母親がいるケースの中に、別のネズミを入れると母親が敵とみなして相手をかみ殺そうとしました。そういう本能的な反応が発露しないようにするにはどうすればいいのかという課題があると思いました。

 とはいえ、さじを投げてもいられません。単に戦争がない状態は『消極的平和』と呼ばれますが、貧困、飢餓、抑圧、差別など社会構造に起因する構造的暴力を能動的になくす努力を重ねて、『積極的平和』をつくっていく必要があります。それをテクノロジーの力で実現しようとしているのが、ナスコンバレーでの取り組みです。僕は75歳までに、世界の貧困層の40億人が自立できる社会の実現を目指しています。そして、100歳までに国家間の紛争やテロのない社会をつくりたい。そのためには、市民や企業・団体がつながって世界平和を呼びかけるムーブメントも大切です。まずは100万人の政治的パワーをつくっていきたい。【文・沢田石洋史、撮影・松田嘉徳】

=次回は14日掲載予定

井上高志(いのうえ・たかし)

「一歩一歩ステップを踏みながら世界平和を実現したい」 拡大
「一歩一歩ステップを踏みながら世界平和を実現したい」

 1968年東京都生まれ。91年青山学院大経済学部卒、リクルートコスモス(当時)入社。同年リクルートに転籍後、95年に独立し、97年に不動産ポータルサイトを運営するネクストを設立。2010年に東証1部上場。17年に社名をLIFULLに変更。22年4月から東証プライムに移行。一般財団法人PEACE DAY、一般社団法人ナスコンバレー協議会の代表理事。著書に「『普通の人』が上場企業をつくる40のヒント」「CHANGE THE WORLD」。尊敬する経営者に京セラ創業者の稲盛和夫さんら。

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