「造り出し」左右非対称 城陽・久津川車塚古墳 首長勢力、西側へ誇示か /京都

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発掘で確認された下段テラス(手前)と、葺き石がされた下段斜面、周濠の底(奥)。テラスには埴輪の基部も残る=京都府城陽市平川の久津川車塚古墳で、鈴木健太郎撮影
発掘で確認された下段テラス(手前)と、葺き石がされた下段斜面、周濠の底(奥)。テラスには埴輪の基部も残る=京都府城陽市平川の久津川車塚古墳で、鈴木健太郎撮影

 山城地域最大級の前方後円墳で国指定史跡の「久津川車塚古墳」(城陽市平川)を発掘調査してきた城陽市教委は13日、祭祀(さいし)の場として古墳のくびれた部分に設ける壇状施設「造り出し」が西側だけにあり、古墳が左右非対称に築かれていたことが判明したと発表した。当時は木津川が流れる古墳の西方が繁栄しており、西向きに首長の勢力を誇る意味があった可能性がある。

 同古墳は古墳時代中期の5世紀前半に築かれた。墳丘の全長は175メートルで、3段構造。過去の調査から南山城地域を支配した大首長の墓とみられている。

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