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馬場正男と撮影所・京都カツドウ屋60年

勝田友巳記者が、京都の撮影所と共に人生を歩んだカツドウ屋が見てきた映画戦後史をひもときます。火曜日更新。

  • /191 地べたからセット造り

     現在ではテーマパークとなっている広島県福山市の「みろくの里」。馬場正男は、ここが観光地となる先べんをつけた。1988年9月、荒れ地だったこの場所に、勝新太郎の…

    (2018年11月13日 12:47)

  • /190 「大映」ひっそり消え

     1986年4月末、馬場正男の古巣、大映京都撮影所が閉鎖された。馬場が辞めた83年以降も、貸しスタジオを主として細々とながら稼働していたが、ついに力尽きた。 馬…

    (2018年11月6日 13:06)

  • /189 畳もふすまも本物に

     1984年初め、馬場正男は神奈川県の松竹大船撮影所で、「化粧」の舞台となった京都の料亭のセットを建てた。この映画、監督の池広一夫も美術の西岡善信も大映京都OB…

    (2018年10月30日 13:00)

  • /188 大映辞めても大忙し

     慣れ親しんだ大映京都撮影所を去ったとはいえ、馬場正男の映画の仕事は途切れず続く。1983年10月の退職時、京撮は「瀬戸内少年野球団」を撮影中で、馬場も美術スタ…

    (2018年10月23日 14:50)

  • /187 大映京都を去る

     1983年10月、「東京配転か早期退職か」を迫られた馬場正男は、30年以上勤めた大映京都撮影所を辞めることにした。慣れぬ東京に行くよりは、京都に残ることを選ん…

    (2018年10月16日 13:02)

  • /186 取り残された京撮

     映画界の大きなうねりにもまれながら、徳間康快率いる新生大映は足場を固め、発足から5年ほどたった1970年代末になると経営も安定してくる。テレビドラマの撮影やC…

    (2018年10月9日 14:31)

  • /185 “徳間ラッパ”奮闘

     新生大映を率いた徳間康快は、永田雅一に負けず劣らずの大言壮語、“徳間ラッパ”と称された。1974年、新生大映の発足記者会見の席上、直前に思いついた井上靖の「敦…

    (2018年10月02日 12:39)

  • /184 角川旋風と徳間の重荷

     「将軍 SH〓GUN」のおかげで潤った大映京都は、支払いを留保していた、従業員の時間外や役職などの手当を支払い、馬場正男らをホッとさせる。とはいえこれも、焼け…

    (2018年09月25日 12:49)

  • /183 大映の危機救った「将軍」

     「将軍 SH〓GUN」の撮影は、1979年12月、大映京都撮影所でクランクアップする。ハリウッドの“黒船”は、日本映画界にさまざまな土産を置いていった。 なに…

    (2018年9月18日 12:30)

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