/31止 「世紀の変り目」にて 他者へ開く「架橋」のうたげ
大岡信と記者の接点はごくわずかなものだが、忘れがたいのは1998年、本紙文化面で月1回、現代詩の新作を掲載することにした際、初回を大岡に依頼したことである。快…
86歳で死去した詩人、大岡信氏は詩作のみならず、評論、随筆、翻訳で数多くの著作を残した。評論の対象も美術、音楽、演劇など幅広い芸術に及んだ。連句、連詩にも取り組んだ。そうした大岡氏の多面的な仕事を通し、戦後日本の文化・芸術のありようを検証していく。
大岡信と記者の接点はごくわずかなものだが、忘れがたいのは1998年、本紙文化面で月1回、現代詩の新作を掲載することにした際、初回を大岡に依頼したことである。快…
1980年代の日本は、70年代の2度の石油ショックを経て、なお経済成長を維持した時期に当たる。諸外国は驚異の目を向け、「日本的経営」などに秘密を探ろうとした。…
「折々のうた」が定評を得たことは、文芸界、文化界における大岡信の存在感を変えた。1980年代以降、彼は現代日本を代表する文化人の一人と見なされるようになってい…
大岡信のコラム「折々のうた」は、1979年1月から2007年3月まで朝日新聞に連載された。古今の短歌、俳句、詩や歌謡の一節を掲げ、鑑賞を180字の短文でつづる…
<丘のうなじがまるで光つたやうではないか/灌木(かんぼく)の葉がいつせいにひるがへつたにすぎないのに//こひびとよ きみの眼はかたつてゐた/あめつちのはじめ …
1981年11月、米ミシガン州のコマース湖岸にある詩人、トマス・フィッツシモンズ氏の家で夕食後、大岡信はフィッツシモンズ夫妻と歓談していた。大岡は50歳。同州…
それにしても、大岡信が文芸創造の場として論じた「うたげ」が、今ほど困難なことはない。彼なら、この状況をどう考えるか。 大岡らによる連句や連詩では、はがきや手紙…
歌仙、連句といっても、経験したことのない者にはピンとこない。五七五と七七の句を交互に詠んでいく現場とは、どんな様子のものなのだろうか。 だいぶ近年になるが、2…
<不遜にも男たちは死にあくがれる//少年は 唇を/大人は 腰を/おのがじし涼しげにひきしぼり/百千鳥(ももちどり)そらのももだちとるあした/残照を浴び蜥蜴(と…
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