
政治や社会の出来事が人々に与える影響を「体温」として読み解く、花谷寿人論説委員のコラム。
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はたらく
2021/9/30 12:49 888文字10月は内定式のシーズンだ。授業ばかりか就活までオンラインだった学生たちが、コロナ禍を乗り越え社会へ一歩踏み出す。 その苦労を思いつつ、仕事を探してもなかなか見つからない若者のことを考える。少年院や刑務所を出た人たちだ。 彼らを採用する経営者は更生保護の「協力雇用主」と呼ばれる。仕事を持てば再犯率
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彼岸の文豪
2021/9/16 12:39 907文字間もなく秋の彼岸。紅のヒガンバナが墓参りの人を迎える。 東京都豊島区の都立雑司ケ谷霊園は、都心の喧噪(けんそう)から離れて静謐(せいひつ)な時が流れる。夏目漱石、永井荷風、小泉八雲、泉鏡花……。多くの文人が眠っている。 この10年くらいか、著名人の墓にお参りする「墓マイラー」が広く知られるようにな
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草花たちの美術館
2021/9/9 12:53 910文字病院の玄関に真っ赤なサルビアが咲いていた。その前を行き来する看護師の白衣が、秋の日の下でひときわ白く見える――。 1979年9月14日。星野富弘さん(75)は群馬県の大学病院を退院した。中学校の体育教師になって2カ月後、部活の指導中に大けがをして、手足の自由を失う。入院生活は9年以上に及んだ。 病
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瑞穂の国の秋
2021/9/2 16:28 880文字「オタヲオターテ ソートメガ コー オエタモンダ ニギヤカニノ」 外国語のように聞こえるが、れっきとした日本語だ。国立国語研究所が全国の方言による会話を録音し、1980年にまとめた「方言談話資料」に収められている。中国山地に抱かれた島根県・奥出雲の古老の言葉である。 「(昔は)歌を歌って 早乙女が
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ある医師の記録
2021/8/26 12:53 875文字昨年放送されたNHK朝の連続ドラマ「エール」。作曲家・古関裕而がモデルの主人公が、原爆の傷痕の残る長崎に一人の医師を訪ねるシーンがあった。 その医師は、自身も被爆しながら被爆者の治療に身をささげ、恒久平和を訴え続けた永井隆博士である。 サトウハチローが作詞した古関の代表曲の一つ「長崎の鐘」は永井博
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ねずみ花火の記憶
2021/8/19 13:03 911文字夏になると、亡くなった人の顔がよく浮かぶ。学生時代の友人、先生、同僚、先輩……。 <顔も名前も忘れてしまった昔の死者たちに束(つか)の間の対面をする。これが私のお盆であり、送り火迎え火なのである> 脚本家・作家の向田邦子に「ねずみ花火」というエッセーがある。ある絵の思い出から、亡き人の記憶が次から
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八雲が今いたなら
2021/8/12 12:46 902文字ちょうど今ごろの時期だろうか。「怪談」などで知られる小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が明治期、山陰地方の漁村を訪ねた時のことを書いている。 <無数の白い手が、何か呪文でも紡ぎだしているかのように、掌(てのひら)を上へ下へと向けながら、輪の外側と内側に交互にしなやかに波打っているのである。それに合わ
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カウンターの8・6
2021/8/5 12:51 900文字小学校の修学旅行は広島だった。バスの中で「ああ許すまじ原爆を……」の歌を習いながら、広島平和記念資料館に向かった。 熱線を浴びた犠牲者の「影」が焼き付けられた石に、衝撃を受けた。その後思い出すことはめったになかった。私とは違い、広島で生まれ育った人はずっと原爆と向き合うのだろうと考えていた。だが、
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五輪の国の賢明な人
2021/7/29 13:07 896文字虔十(けんじゅう)は今で言う知的障害者だ。宮沢賢治の童話「虔十公園林」の主人公である。 ある日思い立ち、村の野原に兄と一緒に杉の苗を植え始める。土質は硬く、苗は育ちにくい。ばかにされても諦めない。背の低い杉林はやがて子どもたちの遊び場になる。虔十は木陰からうれしそうに眺めた。やがて村は開発が進み田
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実名報道の原罪
2021/7/15 12:58 888文字7月になると胸が苦しくなる人がいる。相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で2016年の夏、元職員の男に命を奪われた美帆さん(当時19歳)の母だ。 事件当時、神奈川県警は被害者全員の名前を伏せた。「知的障害者の支援施設であり、遺族のプライバシーの保護等の必要性が高い」と。障害の有無で被害者の実名
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指先で見える世界
2021/7/8 12:46 877文字展覧会の会場の入り口で、お手ふきを渡されたのは初めての経験だった。東京・早稲田にある日本点字図書館付属の「ふれる博物館」を訪ねた時のことである。自由に展示物に触れられる分、手で汚れないように気をつけなければいけないからだ。 展示のテーマは「宇宙」。コロナ禍で指先の消毒がどこでも当たり前になるより前
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七夕の手紙
2021/7/1 12:44 887文字陰暦の7月には文月の異称がある。ふみづき、ふづきと読む。短冊に文字を書いた七夕の行事に由来するという説もある。 コロナ禍で手紙の価値が見直されていると聞く。文字はないが、心を揺さぶられた手紙を思い出した。作家・脚本家の向田邦子さんがエッセーに書いている。 戦争末期、妹が東京から学童疎開した。名前が
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糸子と数子
2021/6/24 12:37 898文字名前を見るだけでその人が身近に感じられるから不思議だ。 沖縄県糸満市の平和祈念公園にある平和の礎(いしじ)には、太平洋戦争末期の沖縄戦で亡くなった20万余の人々の名前が刻まれている。びょうぶのように並び立ち、青い海を見つめている。 ◇ 沖縄にかかわる忘れられない名前がある。糸満市に近い南城
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祭典は誰のために
2021/6/17 12:40 900文字手に息をかけキャッチボールをする雪国の球児。入場行進に涙ぐむ観客。大観衆の決勝戦で敗れた投手の悔しくもやり切った顔。 1968年、市川崑監督は高校野球の記録映画を撮影した。コロナ禍で甲子園大会が中止された昨夏、再上映された。映像は選手と観衆の双方に光を当て、スポーツの祭典は誰のために開かれ、何を残
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鬼平の勘ばたらき
2021/6/10 12:44 875文字ある町のすし屋を3年ぶりに訪れた。地元でも安くてうまいと評判の店だ。 年配の職人3人が並んで手際よく包丁を操る。ただ黙々と仕事をこなしているだけではない。カウンター越しに客の様子に気を配り、旬の地魚に関する知識を時々教えてくれる。 気になる若い店員がいた。3年前に来た時は、おどおどして注文も聞き取
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出撃の島から
2021/6/3 12:34 902文字海上を大編隊で飛行する米軍のヘリ部隊が、敵対するゲリラの村を急襲する。逃げ惑う女性や子供たち。大量殺りくを鼓舞するように、ワーグナー作曲の勇壮な「ワルキューレの騎行」がヘリの中で鳴り響く。 ベトナム戦争の狂気を描いたフランシス・コッポラ監督の「地獄の黙示録」。最初の劇場公開版が作られてから40年以
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命の授業を今こそ
2021/5/27 12:41 884文字子どもの自殺の増加が心配だ。警察庁によると、昨年に自殺した小中学生と高校生は499人に上り、いじめ自殺が社会問題になった1986年を超えて過去最高になった。 コロナ禍による経済苦や不安が影響しているかもしれない。だが根本にあるのはコロナ前からの彼らの心のありようではないか。 国連児童基金(ユニセフ
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脱北者の次の夢
2021/5/20 12:31 857文字「私たちは今、コロナ時代を生きている。同じ状況でも、ある人にとってはパラダイムを果敢に変えて、新しい領域をつくっていくチャンスとなり、ある人にとっては暗鬱なだけだろう」 こんな文章を最近読んだ。パラダイムを変えるとは考え方を変え、あきらめないことだ。 コロナ禍を乗り越えて前向きに生きようとしている
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命と歩く道
2021/5/13 12:13 913文字この人の人生は旅とともにある。しかも歩く旅だ。 写真家の石川文洋さん(83)。ベトナム戦争の最前線での報道写真で知られる。 最初の従軍取材で米軍の歩兵と1カ月間、野営した。英語で時々、短い会話を交わすだけで、あとはひたすら歩く。歩けば風景が変わり、苦にならなかった。 ベトナムやカンボジアの取材で、
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黙浴が終わるまで
2021/5/6 13:24 888文字5日は菖蒲(しょうぶ)湯だった。 最近は銭湯で若者をよく見る。レトロな風情からスタイリッシュなタイプまで楽しんでいる。銭湯めぐりを勧めるパンフレットも作られた。銭湯の経営難が伝えられて久しい。消費税率の引き上げ以降、全国で値上げが相次いでいる。それでも若い人が経営を引き継ぎ、人気を集める所もある。
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