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まいにちクラシック

シンフォニー・オブ・ザ・エア 日本の交響楽に飛躍の糧 1955年5月~6月の紙面から

シンフォニー・オブ・ザ・エア東京公演初日のリハーサルに集まった音楽ファン=東京都千代田区の日比谷公会堂で1955年5月3日

 7回にわたっておつきあいいただきました元NBCトスカニーニ交響楽団「シンフォニー・オブ・ザ・エア」の1955年5月の来日公演。最後に、彼らが日本に残した大きな足跡を、毎日新聞の当時の記事で振り返ります。

<1955(昭和30)年5月25日朝刊文化面>

 会場の音響効果不備にもかかわらず、告別演奏会でのベートーヴェン第七交響曲は、この楽団が東京で手がけたこの種の交響曲作品中最も良いまとまりを見せたものであった。これは一つには、最後の演奏の指揮をソーア・ジョンソン氏が担当したからでもあろう。氏は前任者ヘンドル氏がいささかかまえた態度で楽団に対していたのと異なり、虚心坦懐これに向かった。このゆえに演奏は自然一層の流麗さと迫力を加えたが、それとともに氏のリズムとダイナミズムに対する鋭敏性は、この豪放な楽団をよく制御して、特に第七交響曲のごとく舞踏的リズムが楽曲構成の中心をなしている作品に最適切な表現を与えたのだった。これら諸楽章にうかがえる強弱への大幅の対比、リズムの明確と安定、そして歯切れの良いアクセンチュエーションと強烈なクレッシェンドは、かつてトスカニーニによって訓練され獲得されたベートーヴェンの演奏に対する同楽団の特質を著しくほうふつさせるものだったのである。

 第七以後の諸曲は楽団の楽器個々の能力、特にその鮮明な音色を羅列したものである。それはまずドビュッシーの「夜想曲」における弱音効果のうちに展開され――ただしいささか明快すぎたが、これがアメリカである――最後の「イゴール公」の踊りと礼奏の「オベロン」序曲に至って、そのクライマックスに達したが、かような強烈な色調は、ベートーヴェンにうかがえた強烈なダイナミズムとともに同団が持つ他の一大特色であるといえ…

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