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アンコール

音楽家としてのワーグナーに光を~2017バイロイト音楽祭リポート①「ニュルンベルクのマイスタージンガー」

第3幕幕切れ、法廷セットは撤去されオーケストラが登場(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

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 世界中のワグネリアンがワーグナー作品上演の“総本山”と仰ぎ見るドイツ・バイロイト音楽祭。今年(7月25日~8月28日)は、「ニュルンベルクのマイスタージンガー」の新制作上演で開幕し、「パルジファル」「トリスタンとイゾルデ」「ニーベルングの指環」4部作が再演された。2017年バイロイト・リポートの1回目は新制作されたフィリップ・ジョルダン指揮、バリー・コスキー演出による「ニュルンベルクのマイスタージンガー」のステージを振り返る。(宮嶋 極)

演技指導するバリー・コスキー(C)EnricoNawrath

バリー・コスキーの演出について

 現在、ベルリン・コーミッシェ・オーパーのインテンダント兼首席演出家などとして数々の斬新なプロダクションを世に送り出し注目を集めるオーストラリア出身のバリー・コスキーが手掛けた「ニュルンベルクのマイスタージンガー」。筆者が取材したのは8月19日の公演。プレミエから5回目のステージとあって、現地の専門家や目と耳の肥えたバイロイトの観客・聴衆の間ではおおむね高い評価が定着しつつあったが、筆者なりの見方や感じたことを報告していきたい。

第1幕はヴァーンフリート館のセットで演じられる(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 有名な第1幕への前奏曲が始まる前に幕が上がる。そこは台本にあるニュルンベルクの聖カタリーナ教会ではなく、ワーグナー家の居館ヴァーンフリート館の広間。前面に紗幕(しゃまく=中が透けて見える薄い幕)がかかっており「ヴァーンフリート」の文字が。続いて「1875年8月13日12時45分、外気温セ氏23度。ミュンヘンの楽長ヘルマン・レーヴィが間もなくやってくる。フランツ・リストも娘コージマ(ワーグナー夫人)と婿であるリヒャルト(・ワーグナー)に会うためにバイロイトに向かっている。コージマは頭痛で横になっており、リヒャルトは犬の散歩のため家を空けている」との言葉が映し出される。そしてワーグナーが2匹の犬を連れて帰宅すると同時に紗幕が開き、前奏曲がスタートする。

ザックス(ワーグナー)(C)Bayreuther Festspiele/Joerg Schulze

 広間にはレーヴィ、リスト、コージマらが登場。その間をワーグナーがせわしなく動き回る。前奏曲が第3幕終盤でハンス・ザックスによるドイツの芸術賛歌の場面で使われる旋律に差し掛かると、ワーグナーが弾くピアノの中から20代のワーグナー、10代のワーグナー、そして少年姿、子供姿のワーグナーが次々と飛び出してくる。つまり、コスキーの読み替え演出のコンセプトはワーグナーその人であった。

ヴァルター(20歳代のワーグナー)(C)Bayreuther Festspiele/Joerg Schulze

 せわしなく動いていたワーグナーはこの楽劇の主人公である靴作りのマイスター、ザックス(ミヒャエル・フォレ)であり、20代のワーグナーは慣習や規則に抵抗し自由な発想で新たな芸術を開拓しようとする若き騎士ヴァルター(クラウス・フロリアン・フォークト)、10代のワーグナーはザックスの徒弟であるダーヴィッド(ダニエル・ベーレ)に置き換えられている。ワーグナーの最大の理解者でもあったリストはヴァルターに好意を寄せる親方ポーグナー(ギュンター・グロイスベック)、その娘エーファ(アンネ・シュヴァーネヴィルムス)はコージマに。ワーグナー家のメイドはエーファの乳母でダーヴィッドの恋人でもあるマグダレーネ(ヴィープケ・レームクール)、そしてレーヴィは、規則にうるさい市役所の書記で、策を弄(ろう)して歌合戦でエーファをわがものにしようとたくらむベックメッサーという設定である。なかなか面白い読み替えである。

エーファ(コージマ)(C)Bayreuther Festspiele/Joerg Schulze

 第1幕冒頭でもうひとつ大切なテーマが提示される。聖カタリーナ教会の礼拝のシーンは、前奏曲からそのままヴァーンフリート館におけるワーグナー家の祈りの場面に置き換えられ、皆がひざまずいて神に祈りをささげている。その中でユダヤ人であるレーヴィだけはいすに腰掛けたままで、祈ろうとしない。ワーグナーに何度も促され渋々ひざまずくレーヴィ。彼はワーグナーの熱烈な信奉者のひとりであり、「パルジファル」の初演を指揮したことなどによりその名を後世に残した19世紀を代表する指揮者のひとりである。「パルジファル」の初演に関わったことを機にユダヤ教からキリスト教に改宗したことでも知られ、このシーンはその事実をさりげなく示したものである。また、レーヴィに置き換えられているベックメッサーも台本には明記されていないものの、ユダヤ人をイメージしてその人物像が作られているという説を唱える研究者も多い。あえてこうしたシーンを作ることで、この作品やバイロイトそのものに暗い影を落としてきたワーグナーの「反ユダヤ主義」について、真正面から問い掛けをしようとのコスキーの意図がうかがえる。ちなみにコスキー自身もユダヤ系のオーストラリア人である。

 ザックスとポーグナー、ベックメッサーを除く他の親方たちは皆、本来の設定通り中世の市民の衣装。コミカルな演技で、外見上は軽快に物語が進んでいく。第1幕の幕切れ直前、ヴァーンフリート館のセットは徐々に後退していき、代わって第二次世界大戦後、ナチス・ドイツなどの戦争責任を裁いたニュルンベルク国際軍事裁判の法廷を再現したセットが現れる。壁際には米英仏ソ戦勝4カ国の国旗とMPの姿も見える。

第2幕、ベックメッサー(前)とザックス(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 第2幕も前奏曲に先立って幕が上げられ暗闇の中、芝生の上でたたずむヴァルターとエーファの姿がピンスポットで照らし出されている。紗幕に「コージマ・ワーグナーの日記。1870年11月27日、日曜日。朝、リヒャルトが歌いながら言った。“この地上で今、居る部屋以上に心地よい空間はない。なぜなら、そばに美しい隣人が住んでいるから”それから私の方に歩み寄り“ベッドの上に流れる大いなる旋律。君こそが私の旋律だ!”と言った」との言葉が映し出された後、紗幕が上がり前奏曲の開始とともに舞台が明るくなると法廷のセットは壁と証言台だけで、床には芝生が敷き詰められていることが分かる。本来、ここは小路に続くニュルンベルクの街で、下手にはニワトコの木が茂るザックスの家、上手はポーグナーの屋敷という設定である。

第2幕ユダヤ人の特徴を誇張し覆面を被せられたベックメッサー(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 第2幕の最終盤、ベックメッサーがマグダレーネに求愛していると誤解され、ダーヴィッドに殴られたことを機に街中の人が起き出して、大乱闘となる場面。ベックメッサーはダーヴィッドに殴られるのではなく、一般の人々にワーグナーの肖像画の入った大きな額で押しつぶされ、木づちなどで激しく殴打される。台本に本来描かれているようなちょっとしたはずみで起こった暴力ざたというよりはユダヤ人に対する集団リンチのような雰囲気であった。さらにベックメッサーはワシ鼻に鋭い目つき、頭にはユダヤ教徒がかぶるキッパ(頭頂部に載せる小さな帽子)というユダヤ人の特徴を誇張したようなカリカチュアの覆面をかぶせられ舞台上をふらつく。キッパの上には現在のイスラエルの国旗にもなっているダビデの星が描かれている。

 人々の騒乱とともに、舞台中央にベックメッサーがかぶせられたのと同じカリカチュアの巨大な風船が膨らみながら、ゆっくり前へと倒れていき、客席に大きなダビデの星を見せたところで幕が下ろされる。

第3幕 ニュルンベルク国際軍事裁判の法廷で展開される人間ドラマ(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 第3幕でも同じく前奏曲開始前に紗幕に文字が映し出される。ここではワーグナー周辺の話ではなく第二次大戦時の英空軍参謀長の1945年1月4日付の日記が引用されている。連合軍によるニュルンベルク空爆に際してのドイツ軍の応戦の様子が紹介され、ドイツ戦闘機に取り付けた新兵器について「新たな兵器技術をドイツ人はシュレーゲ・ナハトムジーク(おかしな夜想曲)という暗号で呼んでいた」との言葉で締めくくられる。

 紗幕が開くとかつてのニュース映像で見るニュルンベルク国際軍事裁判の法廷が、今度は克明に再現されている。正面には裁判官席、その後ろに戦勝4カ国の国旗、上手に被告人席と弁護人の席などがしつらえられ、同時通訳のためのヘッドホンまでもセットされるなど、第1幕のヴァーンフリート館と同様にまるで実物を見ているかのような細部へのこだわりである。本来の設定では早朝のザックスの工房で繰り広げられる人間ドラマがニュルンベルク裁判の法廷セットで展開されていく。

ベックメッサー(レーヴィ)(C)Bayreuther Festspiele/Joerg Schulze

 歌合戦の場面である第3幕後半(第5場)を前に再び紗幕が下ろされ「ハンス・ザックス:私は嫌疑をかけられた以上、陳述しなければいけない。ですから私に証人を選ばせてほしい。私の潔白を証明できる人はいませんか? いるのなら証人として裁きの場に進み出てほしい」との劇中のザックスのせりふ(歌詞)が映し出される。これはヴァルターの詩を盗用したベックメッサーが、歌合戦でおかしな歌を歌い、民衆に嘲笑されたことを逆恨みし「この詩はザックスの作だ」と捨てぜりふを残して去っていった後に、ザックスがヴァルターを歌合戦の場に招き入れるために発する言葉である。

 歌合戦を前にマイスターたちが次々と入場してくる場面では、親方ひとりひとりに民衆から大きな拍手が湧き起こるが、ベックメッサーの時だけは静まり返ったまま。逆にベックメッサーが証言台でおかしな歌を披露すると民衆は彼を激しくあざけり“法廷”から強制的に連れ出す。

 一方、ナチスに悪用されたことでも知られるザックスによるドイツのマイスターの崇高な精神と芸術の素晴らしさをたたえる場面では、証言台と壁を除いて法廷のセットは片付けられ、誰もいない暗い空間でザックス(ワーグナー)がひとり、演説をするというシーン転換が行われる。演説後半には壁のセットも取り払われ、舞台奥からオーケストラ(金管楽器の別動隊以外は演奏するまねだけ)が現れて、その傍らにはコージマが腰掛けている。ワーグナーは自らのカリカチュアにもなっている大げさな身ぶりでオーケストラを指揮し幕となる。

第3幕幕切れ、法廷セットは撤去されオーケストラが登場(C)Bayreuther Festspiele/Enrico Nawrath

 ユダヤ人であることを強調されたベックメッサーに対しては最後まで救いや和解はなく、見ていてひどいと感じるほどの扱われ方であった。一方、紗幕に映し出された「私は嫌疑をかけられた以上、陳述しなければいけない」との歌詞が歌われる場面では法廷のセットを背景にワーグナーは演説のように自らの“潔白”を力強く訴える。一方、ドイツの芸術をたたえる箇所は誰もいない空間での独白の雰囲気。果たしてコスキーのメッセージとは何だったのか。

祝祭劇場前にあるレーヴィの顕彰プレート

 筆者にはナチスに悪用された戦前から現代に至るまで、政治的あるいは思想的な背景がクローズアップされることの多かったこの作品の読み替えを通して、ワーグナーは政治家や思想家ではなく、あくまでも音楽家であったということを見直すべきだと訴えているように感じられた。さらに民衆がベックメッサーを痛めつけたシーンから、反ユダヤ主義は何もワーグナーだけではなく、当時のヨーロッパの人々の心に広く根ざしていた意識だったのではないか、と問いかけているようにも映った。終演後、斬新な読み替えだったにもかかわらず、バイロイト名物ともいえるブーイングが一切起きなかったことも筆者には意外であった。

フィリップ・ジョルダンの音楽作りと歌手陣

 シリアスなテーマを軽妙なタッチで描いたコスキーの演出に呼応するかのようにフィリップ・ジョルダン(現地ではヨルダンと呼ばれている)の音楽作りも重厚で荘重な雰囲気を醸しだすのではなく、ぜい肉をそぎ落としてすっきりとした響きを基調に、複数の異なる旋律が絡み合う対位法の妙をクリアに聴き取れるようなスタイルであった。

 第1幕の前奏曲はまずテンポの速さに驚かされた。恐らく♩=110~115くらいの速さであったと思われる。さらに驚いたのは、弦楽器による長音に時折、ヴィブラートをかけさせていないと思われる響きが聴き取れたことである。ワーグナー作品を演奏する上では異例ともいえるノー・ヴィブラートの直線的なサウンドによって、響きの塊の中に埋もれてしまいがちな対旋律や内声部が面白いように浮かび上がってきた。さらに前作「トリスタンとイゾルデ」で確立した半音階進行を応用した“甘さを際立たせるために汁粉に入れる塩”のような役割を果たす不協和音などの特別なエッセンスをあえて強調するかのような和声のバランスの取り方も興味深かった。バイロイトにおける「マイスタージンガー」で、このような響きを聴いたのは初めて。こうしたジョルダンの音作りはこの作品の音楽面におけるユニークな構造とその革新性を明確にするものである。オーケストラの直接音が客席にまったく届かないバイロイト祝祭劇場の特殊なアコースティックの中で、この手法を貫き一定の効果をもたらすことはかなりの困難が予想される。賛否はあるだろうが、それをなし得たジョルダンの手腕はなかなかのものといえよう。

実際のヴァーンフリート館の広間

 歌手陣ではザックスとワーグナーという2役を演じたのも同然のミヒャエル・フォレの圧倒的な存在感が特筆される。バイロイトにおける前回の「マイスタージンガー」のプロダクション(カタリーナ・ワーグナー演出)では、敵役のベックメッサーを演じたフォレだが、作品を深く理解し役を掘り下げていることをうかがわせる起伏に富んだ歌唱は聴く者の心に強く訴えかけるものがあった。さらにワーグナーとして終始、せわしない身ぶり手ぶりを交えての歌唱の連続であったが、その歌に揺らぎを感じさせる箇所は皆無。ベックメッサー役のクレンツレも綿密な役作りをベースにした演技と、陰影に満ちた歌唱は見事であった。

 一方、前回のプロダクションにもヴァルターとして出演したクラウス・フロリアン・フォークトは、持ち前の透明感のある美声を披露していたが、その声に前回ほどの伸びと輝きが感じられず不完全燃焼にも見えた。さらにフォレの横で同じワーグナーの扮装(ふんそう)をしていたことも、彼ならではのキャラクターを生かした役作りをする余地を狭くしていたのかもしれない。エーファ役のアンネ・シュヴァーネヴィルムスは、エーファとコージマの演じ分けに少し難儀している印象であった。「マイスタージンガー」はコーラスが活躍する作品としても人気が高いが、バイロイト祝祭合唱団の雄弁さと圧倒的な声量は相変わらずの素晴らしさで、公演の成功に大きな役割を果たしていた。

ヴァーンフリート館外観

公演データ

【バイロイト音楽祭2017 楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」新制作上演】

7月25日(火)、31日(月)、8月7日(月)、15日(火)、19日(土)、27日(日)

バイロイト祝祭劇場

 

指揮:フィリップ・ジョルダン

演出:バリー・コスキー

美術:レベッカ・リングスト

衣装:クラウス・ブルンス

照明:フランク・エヴァン

ドラマトゥルク:ウルリヒ・レンツ

合唱指揮:エバハルト・フリードリヒ

 

ハンス・ザックス:ミヒャエル・フォレ

ファイト・ポーグナー:ギュンター・グロイスベック

クンツ・フォーゲルゲザンク:タンセル・アクゼイベク

コンラート・ナハティガル:アルミン・コラルチック

ジクストゥス・ベックメッサー:ヨハネス・マルティン・クレンツレ

フリッツ・コートナー:ダニエル・シュムッツハルト

バルタザール・ツォルン:パウル・カウフマン

ウルリヒ・アイスリンガー:クリストファー・カプラン

アウクスティン・モーザー:シュテファン・ハイバッハ

ヘルマン・オルテル:ライムント・ノルテ

ハンス・シュヴァルツ:アンドレアス・ヘール

ハンス・フォルツ:ティモ・リーホネン

ヴァルター・フォン・シュトルツィング:クラウス・フロリアン・フォークト

ダーヴィッド:ダニエル・ベーレ

エーファ:アンネ・シュヴァーネヴィルムス

マグダレーネ:ヴィープケ・レームクール

夜警:ゲオルク・ツェッペンフェルト

合唱:バイロイト祝祭合唱団

管弦楽:バイロイト祝祭管弦楽団

筆者プロフィル

 宮嶋 極(みやじま きわみ)スポーツニッポン新聞社勤務の傍ら音楽ジャーナリストとして活動。スポニチ紙面、ウェブにおける取材・執筆に加えて音楽専門誌での連載や公演プログラムへの寄稿、音楽専門チャンネルでの解説等も行っている。

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