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アンコール

飯守体制白眉の「リング」フィナーレ~新国立劇場「神々の黄昏」

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

【新国立劇場 ワーグナー:「ニーベルングの指環」第3夜 楽劇「神々の黄昏」新制作上演】

 新国立劇場で2015年10月にスタートしたワーグナーの「ニーベルングの指環(リング)」のツィクルス上演。その第4弾となる楽劇「神々の黄昏」の公演が10月1日から6回、行われた。このツィクルスは20世紀後半にドイツで活躍した名演出家ゲッツ・フリードリヒ(1930~2000年)が最後に手掛けたフィンランド国立歌劇場における「リング」のプロダクション(96~99年)をベースに制作されたもの。指揮はツィクルスを通して新国立劇場オペラ芸術監督の飯守泰次郎が担当。オーケストラは読売日本交響楽団が初めて同劇場のピットに入った。飯守芸術監督体制の最終シーズンの幕開けを飾った同公演のステージを振り返る。取材したのは10月7日、3回目の公演。

 飯守芸術監督体制の白眉(はくび)ともいえるワーグナーの「ニーベルングの指環(リング)」のツィクルス上演が、フィナーレを迎えた。飯守芸術監督身が指揮を務め、ワーグナー作品上演の総本山といわれるバイロイト音楽祭など世界のひのき舞台で活躍する人気、実力を兼ね備えたワーグナー歌手をそろえてのステージは、音楽面に限ってみるとこれまで日本で独自制作された「リング」のプロダクションの中でも、かなり高い水準のものであったと言えるだろう。「ラインの黄金」「ヴァルキューレ(ワルキューレ)」が東京フィルハーモニー交響楽団、「ジークフリート」は東京交響楽団、そして最終作の「神々の黄昏」は読売日本交響楽団がピットに入ったのだが、最近の在京オーケストラの充実ぶりが、そのまま上演全体を支えるオーケストラの演奏の質向上に反映され、各公演の成功に大きな役割を果たしていた。

 とりわけ今回、新国立劇場初登場となった読響の演奏には目を見張るものがあった。ホルンをはじめとする管楽器群の安定したソロ、なめらかな質感の弦楽器セクション。ここ数年の間に急速に充実の度を増している読響が紡ぎ出した音楽は雄弁で説得力に富んでいた。「ジークフリートのラインへの旅立ち」や「ジークフリートの葬送」、「ブリュンヒルデの自己犠牲」と呼ばれる長大なフィナーレ等、オーケストラの聴かせどころ満載のこの作品の魅力の一端を存分に楽しむことができる高水準の演奏が披露された。また、ダイナミックレンジを広く取り、力感あふれる音楽で壮大な物語を骨太に構築するという、飯守の意図が読響の高い合奏能力によって、これまでに比べてもより明快に示される形となった。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 歌手陣で特筆すべきはヴァルトラウテを演じたヴァルトラウト・マイヤーであろう。90年代から00年代にかけてバイロイトはもちろん、ウィーン国立歌劇場、ベルリン州立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場等々、世界の名門オペラや音楽祭から引っ張りだこであった伝説の名歌手である。全盛期に比べて声量は少し衰えたものの、その豊かな表現力は健在。彼女がステージに登場しただけで、その場の雰囲気を瞬時に変えてしまうほどの存在感は驚くべきもの。神々の危機を姉のブリュンヒルデに訴える切迫感の表出は、実に見事であり、マイヤーの才能と豊富なキャリアに裏打ちされた堂々たる歌唱と演技であった。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 ジークフリート役のステファン・グールドは、強い声と荒々しい仕草で無敵の英雄像を彼なりのスタイルで描き出そうとしていたのが印象に残る。ただ、ギービヒ家に到着した後のハーゲンやグンターとのやり取りなど、ジークフリートのナイーブな一面をもう少しデリケートに表現していたら、さらに説得力が増していたに違いない。相手役のブリュンヒルデはペトラ・ラング。元々、メゾ・ソプラノの音域を歌っていた歌手だけに、ソプラノの音域のブリュンヒルデを歌うと声の暗さや重さが際立ち、登場人物の内面に光を当てるようなフリードリヒの演出意図にはマッチしたキャスティングであったといえる。この役に不可欠な声の強さやスタミナも十分。グールドとラングの主役コンビは国際水準を満たした歌唱であったといえよう。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 一方、影の主役であるハーゲンを演じたアルベルト・ペーゼンドルファーは従来の動的なハーゲン像ではなく、静かな中にも深い闇を抱えたハーゲンを標榜(ひょうぼう)していたのであろうか。第2幕、全4作で初めて合唱が出てくる場面などでは、多くの家臣や軍勢を実質支配するハーゲンの力強さや荒々しさの表出がもう少し欲しかったようにも感じた。その半面、第1幕後半のモノローグや第2幕冒頭のアルベリヒとのやり取りなどにおける深みのある歌唱はなかなか聴かせるものがあった。

 アルベリヒを演じた島村武男、グートルーネの安藤赴美子ら日本人歌手たちも圧倒的なパワーを誇る海外勢を向こうに回して、一歩もひけを取らぬ熱演を繰り広げていた。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 指揮の飯守を軸とした歌唱と演奏は、素晴らしい出来であったが、今作もやはり演出面については何か物足りなさを感じさせるものとなった。約20年前にフィンランド国立歌劇場でお披露目されたフリードリヒのプロダクションであるが、読み替え演出の場合、どうしても〝賞味期限〟を感じさせる場面が随所に出てくるのである。「ジークフリート」のリポートでも触れたが、その後の20年間に各劇場で制作された「リング」のプロダクションで同様の試みや、さらに進化発展させた読み替え演出が登場しているため、今、20年前のプロダクションを目のあたりにすると、どうしても既視感を禁じえない。フリードリヒが意図した登場人物の内面の深掘り、神々やニーベルング族などの属性の境界を視覚的に見せる、今作ではグートルーネ、グンター、ハーゲンをめぐる特殊な関係を強調するなどの仕掛けもその例であろう。また、01年から新国立劇場で上演されたキース・ウォーナー演出によるいわゆる「トーキョー・リング」の斬新で高い発信力のあったステージに比べてしまうことも、物足りなさを感じさせる一因だったのかもしれない。ちなみに契約上の問題で「トーキョー・リング」の再演はもうかなわないそうだ。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

 しかし、最も物足りなさを感じたのは舞台上の歌手たち(合唱も含む)の動きの少なさである。聴かせどころになると棒立ちで歌う場面が散見され、もし、フリードリヒが健在で実際に演出を行っていたらこんなことにはならなかったはずだ。

 一方、面白かったのは幕切れで廃虚の中からブリュンヒルデが再び姿を現すサプライズが用意されていたことである。彼女が未来に向かっても救済者であるという意味か、それとも歴史は繰り返すと言われるように、この世を滅亡にまで追い込む〝欲〟をめぐる争いは永遠に続くという意味なのか……。それは観客・聴衆ひとりひとりが感じ取るべき結末ではあるが、これがフリードリヒの最後のメッセージであったという点で興味深いエンディングといえよう。

 とはいえ、前述のように音楽面の完成度は高く、飯守の指揮者人生の中でも頂点を成すシリーズになったのではないだろうか。シリーズ4作を通して観客・聴衆の期待に応え得る上演であったことは、しっかりと書き留めておきたい。

撮影:寺司正彦 提供:新国立劇場

公演データ

【新国立劇場 ワーグナー:「ニーベルングの指環」第3夜 楽劇「神々の黄昏」(序幕と全3幕 ドイツ語上演日本語字幕付き)】

10月1日(日)14:00/4日(水)16:00/7日(土)14:00/11日(水)14:00/14日(土)14:00/17日(火)16:00 新国立劇場オペラパレス

指揮:飯守 泰次郎

演出:ゲッツ・フリードリヒ

演出補:アンナ・ケロ

美術・衣装:ゴットフリート・ピルツ

照明:キンモ・ルスケラ

舞台監督:村田 健輔

合唱指揮:三澤 洋史

 

ジークフリート:ステファン・グールド

ブリュンヒルデ:ペトラ・ラング

アルベリヒ:島村 武男

グンター:アントン・ケレミチェフ

ハーゲン:アルベルト・ペーゼンドルファー

グートルーネ:安藤 赴美子

ヴァルトラウテ:ヴァルトラウト・マイヤー

ヴォークリンデ:増田 のり子

ヴェルグンデ:加納 悦子

フロスヒルデ:田村 由貴絵

第1のノルン:竹本 節子

第2のノルン:池田 香織

第3のノルン:橋爪 ゆか

 

合唱:新国立劇場合唱団

管弦楽:読売日本交響楽団

筆者プロフィル

 宮嶋 極(みやじま きわみ)スポーツニッポン新聞社勤務の傍ら音楽ジャーナリストとして活動。スポニチ紙面、ウェブにおける取材・執筆に加えて音楽専門誌での連載や公演プログラムへの寄稿、音楽専門チャンネルでの解説等も行っている。

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