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「新芸」とその時代

(34)公演内容より入場料に注目集まる……カラヤン&ベルリン・フィル公演Ⅱ

1979年10月13日、早稲田大学の名誉博士号を受け、贈呈式後に同大学交響楽団を特別指揮した時のカラヤン

 1979年10月に行われたヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演は計9回、すべて東京の普門館(杉並区)で行われ、演奏曲目は次のようなものだった。

16日=モーツァルト:交響曲第39番 変ホ長調 K.543/リヒャルト・シュトラウス:交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」op.30

17日=マーラー:交響曲第6番 イ短調「悲劇的」

18日=シューベルト:交響曲第7番 ロ短調 D.759「未完成」/チャイコフスキー:交響曲第5番 ホ短調 op.64

19日=ドヴォルザーク:交響曲第8番 ト長調 op.88/ムソルグスキー(ラヴェル編曲):組曲「展覧会の絵」

21日=ベートーヴェン:交響曲第9番 ニ短調 op.125「合唱付き」 アンナ・トモワ=シントウ(ソプラノ)、ルーザ・バルダーニ(アルト)、ペーター・シュライヤー(テノール)、ホセ・ヴァン・ダム(バス)

22日=ハイドン:オラトリオ「天地創造」 アンナ・トモワ=シントウ(ソプラノ)、ペーター・シュライヤー(テノール)、ホセ・ヴァン・ダム(バス)

24日=ヴェルディ:レクイエム ミレッラ・フレーニ(ソプラノ)、アグネス・バルツァ(アルト)、ルイス・リマ(テノール)、ニコライ・ギャウロフ(バス)

25日=モーツァルト:レクイエム ニ短調 K.626/ブルックナー:テ・デウム アンナ・トモワ=シントウ(ソプラノ)、ルーザ・バルダーニ(アルト)、ペーター・シュライヤー(テノール)、ホセ・ヴァン・ダム(バス)

26日=ヴェルディ:レクイエム(ソリストは24日と同じ)

 合唱付きの名曲がずらりと並んだ上に、前年にレコードが発売されて話題となっていたマーラーの交響曲第6番など、聴きどころの多い「重量級」のプログラミングであった。

「西岡さんがやっていらした時代は、日本のクラシックの黄金時代。それも西岡さんが築いたのかもしれません」と語る眞鍋圭子さん=2015年11月、筆者撮影

カラヤンに学んだ「危機管理」

 新芸術家協会の依頼でカラヤンとの調整役を務めたのは、それまでも新芸の招請事業に通訳として関わり、カラヤンともすでに面識のあった眞鍋圭子(現・サントリーホール・エグゼクティブ・プロデューサー)だった。

 「新芸は日本の音楽界をリードしていた音楽事務所です。西岡(芳和)さんに一番学んだのは、アーティストを大事にするということです。アーティストが一番いい状態で舞台に立てるように、周りのシチュエーションを整えることに万全を期していました。それと、当時のいわゆる呼び屋さんたちの中で、アーティストと音楽の内容やプログラミングまで踏み込んで話すことができる人は少なかったのですが、西岡さんはそれがおできになった。こういうプログラムがいい、と自分の方から提案なさる。それが西岡さんのすばらしいところでした。79年の公演では、マーラーの6番といった、当時あまり知られていないような曲も取り上げることになりました」

 ウィーン楽友協会合唱団が同行するこの一大プロジェクトのプログラムの決定は簡単ではなかったという。まずカラヤンがこだわったのは、ヴェルディのレクイエムで、結局2回の公演で演奏することになった。ほかの合唱付きの楽曲は、日本側から提案した中から、「第九」「天地創造」、モーツァルトのレクイエムが選ばれた。モーツァルトだけでは時間が短いからと、カラヤン側からの提案でブルックナーの「テ・デウム」が加わった。ソリストの決定も曲折があったが、最終的にはヴェルディを歌うグループと、それ以外の「ドイツもの」を歌うグループの計2グループのソリストが招かれている。

 「プログラムなどの話し合いのために、ミュンヘンでカラヤンさんにお会いした時は、来日までに1年を切っていました。ソリストについては、ヴェルディのレクイエムのテノールはプラシド・ドミンゴやルチアーノ・パヴァロッティをカラヤンさんが希望したのですが、すでにほかの予定が入っていて実現せず、結局、南米出身の若手のルイス・リマという人に決まったのです。それでもフレーニ、バルツァ、ギャウロフはカラヤンのためなら、と都合をつけてくれました。歌手選びでカラヤンさんに教えられたことは、片方のグループで誰かが病気になっても、もう一方のグループの歌手が代わりに歌えるように、両方の曲目を歌える歌手を選ばなければいけないということです。日本のような遠いところでは、すぐに海外から代役を呼んで歌わせるというわけにはいかない、という理由です。実際に来日公演の期間中、バルツァの調子が悪くなり、ヴェルディも歌えるバルダーニに代役を頼もうか、という場面がありました。幸い、バルツァはすぐに回復して事なきを得たのですが、カラヤンさんの危機管理の考え方が身にしみたものです」

 西岡は2001年の取材で筆者にこう語っている。

 「ソリストのメンバーは豪華で、カラヤンでなければそろわなかった歌手たちだ。当然ギャラもべらぼうに高かった。ベルリン・フィルや合唱団の出演料も合わせると、すごいことになっちゃった。ギャラはマルクで支払ったが、悪いことに急激な円安になった。チケットも完売せず、結局大赤字だった」

高額な入場料金への批判

 この公演のチケットは、合唱付きの日がS席1万9000円、オケのみの公演でも1万5000円で、高額な入場料が世間から批判を浴びた。5000人収容の会場ならばもっとチケットを安くできるはず、という理由だが、合唱に一流ソリスト陣も加わり、経費は半端な額ではなかったのだ。ちなみに、カラヤンとオケだけで来日した77年(大阪国際フェスティバル協会招請)でも、大阪フェスティバルホールの入場料の最高額は2万円、普門館で行われた東京公演は1万2000円で決して安いものではなかったが、79年ほどの批判は確認できない。

 強気の西岡も世間の批判をかなり気にしていた節がある。80年の「音楽の友」6月号に掲載された「コンサート’80・イン・ジャパン」というアンケート特集への反論である。この特集は「聴衆の生の声に耳を傾けて、よりよい演奏会のあり方を考える」という趣旨で、計1638人の読者にアンケートを行った結果をまとめたものであった。当時の演奏会の入場料に関する「読者の証言」の中には「諸悪の根元は『新芸術家協会』である。音の悪い広いホールに大演奏家、べらぼうに高い入場料。聴衆をばかにしているとしかいいようがない」といった、新芸への批判が目につく。

 西岡は同年の11月号に見開き2ページに及ぶ反論を投稿している。

 「……入場料金を高い、安いと書くのなら、それなりのデーター、自分なりの調査にもとづいた見識をもって書くべきではないでしょうか。(中略)本年(80年)6月22日、同じカラヤンとベルリン・フィルが隣国フランスの首都パリのパレ・デ・コングレ(3500人収容)で公演を行ったときの入場料金は最高400フラン=2万3036円(1フランスフラン=57.9円として)でした。(中略)1979年の時点で5曲の合唱付きの大曲を同時に世界のベストメンバーで紹介したことが、もしも無意義であり、その演奏内容が劣悪であったという音楽上の判定があるのなら、ワーストのレッテルも甘んじて受けねばならないかもしれないのですが……。カラヤンをはじめオーケストラ、出演者たち、そして私自身、最高の演奏であったと確信しています」

 79年といえば第2次石油ショックの年、音楽ファンもそれまで以上に入場料の多寡に敏感になっていたかもしれない。いずれにしても新芸の普門館公演に対する「集中砲火」は、音楽マネジャーとして日本のクラシック界をリードし、「一流どころの演奏家さえ呼べば、高額なチケットでも売れる」という自負、いわば「新芸イズム」からの「聴衆離れ」を象徴的に示しているようにも思われる。【野宮珠里】(文中敬称略、原則として文中の引用文は原表記のまま)

※隔週土曜日掲載。次回は3月31日の予定です。

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