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アンコール

「総合芸術」の呼び名にふさわしい二つの「椿姫」〜ルクセンブルクとパリ

ルクセンブルクで上演されたロバート・ウィルソン演出の「椿姫」(C)Lucie Jansch

 19世紀のパリを舞台に、高級娼婦(しょうふ)とブルジョワ青年の悲恋を描いたヴェルディの「椿姫」は、オペラ界きっての人気作である。ヒロインが「世間体」を守るために犠牲を強いられる物語は古臭く感じられないでもないが、世間=社会と個人の幸福の対立というテーマは普遍的なので、時代や設定を読み替える演出にもなじみやすい。

     この10月、ヨーロッパで、それぞれ個性ゆたかな「椿姫」のプロダクションを二つ、体験することができた。

     ひとつは、ルクセンブルクの大劇場で上演された、ロバート・ウィルソンの演出によるプロダクションである(10月16日所見)。

     アメリカ出身のウィルソンは、現在世界でもっとも売れっ子の演出家のひとり。マルチメディアを演出の世界に持ち込んだ先駆者のひとりとして知られ、バレエから演劇、オペラまで幅広く活躍する。舞台は抽象的で、能の影響も指摘される静的な動きや白塗りのメークも特徴的だ。大道具はほとんど置かず、照明が大きな役割を果たす。

     今回の「椿姫」は、名プロデューサーの故ジェラール・モルティエからの依頼だったが、モルティエが2014年に急逝し、急きょ彼を追悼する作品として、オーストリアのリンツ、ロシアのペルミおよびルクセンブルクで共同制作されることになったといういわく付きのもの。初演は2015年にリンツで行われ、ペルミでは昨年上演されて、ロシアで優れた舞台芸術に贈られる「金の仮面賞」を受賞した。

    照明を効果的に用いた演出。中央はヴィオレッタを歌ったナデジタ・パヴロワ (C)Lucie Jansch

     今回のルクセンブルクでの上演は、ペルミで指揮を執って高く評価されたテオドール・クルレンツィスが、手兵の古楽オーケストラ、ムジカエテルナとともにピットに入ることで大変注目され、国外から訪れた報道関係者も少なくなかった。

     ウィルソン演出は、照明主体のシンプルな舞台、白塗りのメーク、ゆったりした動き、ジャワ舞踊を思わせる手の動きなど基本的な特徴は同じ。衣装は基本的にはロングドレスに燕尾(えんび)服で、舞台に花を添える。本作に特有だったのは、ほぼ唯一の大道具だった物差しのように細長い物体で、これが背景のあちこちに宙づりになったり(第1幕)、針の山のように盛られて(第2幕第1場)舞台上に登場する。これは物語の偽善を告発する「ダモクレスの剣」のような役目を果たしていると感じた。照明はベースは青だが、第2幕第2場のパーティーの場面では赤になり、仮面をつけた歌手たちともども、退廃的な空気を醸し出していた。またこの場面では、「ダモクレスの剣」ふうの細長いLED照明が宙を横切り、華やかさの裏にひそむ危険を感じさせるようなつくりになっていた。

    第2幕第2場のパーティーのシーン (C)Lucie Jansch

     第3幕の大道具は、病が進んだヒロインが横たわる寝椅子のような大きなベッドで、背景と同じ灰青色の毛布に包まれており、舞台にヒロインの白い顔だけが浮かび上がる。このような視覚的効果も、ウィルソン演出が「美しい」と評価されるゆえんかもしれない。

     一方で、美しいとはいえきわめて抽象的なステージである。甘ったるい演奏だったら負けてしまう。その点、クルレンツィスとの共演は正解だった。ピリオド楽器のオーケストラを率いてのドライな音作りは、今回のプロダクションにぴったり。旋律線を歌うのはごくごく控えめにし、一見シンプルに聴こえる内声の面白さを際立たせ、幕切れなどでの盛り上がりではデュナーミクを思い切りつけ、多種のマレットを駆使してティンパニの音色を際立たせる。その結果「泣けるメロドラマ」とは程遠い、大げさに言えば神話的といえるほど普遍的なステージが誕生したのである。

     歌手陣では、ヒロインのヴィオレッタ役を歌ったナデジダ・パヴロワが、透明感があり響きもよく、ときに温かみもある声、抜群のテクニックで会場を圧倒。とりわけ高音域の美しさは印象的だった。アルフレード役のスペインのテノール、アイラム・エルナンデスは主要キャストのなかでは一番イタリア・オペラ向きの、柔らかくリリカルな声が魅力だった。

    マネの絵画「オランピア」をモチーフにしたブノワ・ジャコの演出 (C) Sébastien Mathé

     もうひとつの「椿姫」は、パリ、オペラ座のプロダクション。2014年に制作された、ブノワ・ジャコの演出である(10月26日所見)。ジャコは映画監督として著名で、オペラの演出は映画版の「トスカ」がスタートラインだった。

     彼の「椿姫」の最大の注目点は、オペラとのヒロインと同じ「娼婦」を正面から描いてスキャンダルを巻き起こしたマネの絵画「オランピア」が、主要なモティーフになっていることである。パリが舞台で娼婦がヒロインのオペラを、パリで発表された娼婦の絵画で飾る。観客も腑(ふ)に落ちるはずだ。ご当地プロダクションと呼んでもいいのではないだろうか。

     「オランピア」は、「ヴィオレッタのサロン」と台本に指定された第1幕で重要な役割を演じる。サロンなのにベッドがあり、そのヘッドボードの上方に「オランピア」が掛かっていて、ヴィオレッタはそれを見上げて自分の境遇を嘆いたりするのだ。「オランピア」では娼婦の脇に、植民地から連れてこられたと思われる黒人の小間使いが描かれているのだが、オペラの小間使いアンニーナも黒人になっていたのは強烈だった。ヴィオレッタが死に瀕(ひん)している第3幕では、「オランピア」は梱包(こんぽう)されてベッドの上に下ろされており、「娼婦の人生が終わった」ことが明示されていた。第2幕は第1場と第2場のセット―― 一本の木とベンチで表現された郊外の隠れ家と、大階段をメインにした娼婦宅のギャラリー――を同時に舞台に載せ、場面転換はなし。映画で培ったダイナミックな視覚効果が、バスティーユの新オペラ座の大舞台に映えていた。

    第2幕より、大階段をメインにした娼婦宅のギャラリー (C) Sébastien Mathé

     歌手陣も充実。指揮者主導のルクセンブルクの公演に比べて、大劇場にふさわしいスターがそろった。ヒロインを歌ったアレクサンドラ・クルザクはベルカントものを得意とするソプラノだが、高い技術に加えて表現力に磨きがかかり、とりわけピアニッシモでの表現は絶品。繊細で彩り豊かな弱音を駆使して、絶望から歓喜まで幅広い感情を表現しつくした。アルフレード役は現代を代表するスター・テノールのひとりで、クルザクの夫君でもあるロベルト・アラーニャ。近年重い役柄にシフトしていることもあり、リリカルなテノールがふさわしいこの役では声楽的にしっくりこない場面も散見されたが、甘く豊潤で表情豊かな「声」自体の魅力は健在で、熱い喝采を浴びていた。クルザクとの息もぴったりで、迫真の演技が見られたのも収穫だった。ジェルモン役はイタリアのバリトン、ルカ・サルシが歌ったが、声量はあるものの大味で、役柄に必要な人間味に欠けた。

    瀕死のヴィオレッタ(クルザク)。アンニーナ(左)は「オランピア」になぞらえ黒人として描かれている (C) Sébastien Mathé

     指揮はイタリアの若手、ジャコモ・サグリパンティ。近年パリやロンドンなど大劇場で引っ張りだこの注目株である。音楽づくりはいたって正攻法で、歌をよく聴き、歌手に美しく歌わせ、繊細に寄り添う。ルクセンブルクとはまったく異なるテイストながら、音楽と舞台に齟齬(そご)はない。

     劇場の主要レパートリーになっている古典的名作をいかに現代によみがえらせるか。それは現代のオペラ上演における重要課題だが、今回体験した二つの「椿姫」は、演出と音楽の方向性がそれぞれ一致し、説得力があった。「総合芸術」という呼び名は、このようなオペラ上演にこそふさわしい。(加藤浩子)

    公演データ

    【ルクセンブルク市大劇場 ヴェルディ:「椿姫」(全3幕 イタリア語上演フランス語、ドイツ語字幕付き】

    10月12日(金)20:00 14日(日)17:00 16日(火)20:00 ルクセンブルク市大劇場

    指揮:テオドール・クルレンツィス

    演出&照明:ロバート・ウィルソン

    美術:ステファン・エンゲルン

    衣装:ヤシ

    ヴィオレッタ:ナデジダ・パヴロワ

    アルフレード・ジェルモン:アイラム・エルナンデス

    ジョルジョ・ジェルモン:ディミトリス・ティリアコス

    フローラ:ナタリア・ブクラガ

    アンニーナ:エレーナ・ユルチェンコ

    ガストーネ子爵:ニコライ・ヒョードロフ

    ドゥフォール男爵:ヴィクトル・シャポヴァロフ

    ドビニー侯爵:アレクセイ・スヴェトフ

    グランヴィル医師:ウラディーミル・タジエフ

    合唱&管弦楽:ムジカエテルナ

    【パリ国立オペラ座 ヴェルディ:「椿姫」(全3幕 イタリア語上演フランス語、英語字幕付き】

    https://www.operadeparis.fr/en/season-18-19/opera/la-traviata

    9月29日(土) 10月2日(火) 5日(金) 8日(月) 11日(木) 14日(日) 17日(水) 21日(日) 23日(火)  26日(金) 12月11日(火) 14日(金) 17日(月) 20日(木) 23日(日) 26日(水) 29日(土) 日曜日のみ14:30、その他は19:30開演 オペラ・バスティーユ

    指揮: ジャコモ・サグリパンティ(9・10月)、カレル・マーク・チチョン(12月)

    演出: ブノワ・ジャコ

    美術: シルヴァン・ショヴロ

    衣装:クリスチャン・ガスク

    照明:アンドレ・ディオ

    ヴィオレッタ:アレクサンドラ・クルザク(9月、10月)、エルモネラ・ヤホ(12月)、アニタ・ハルティヒ(10月21日)、アイリーン・ペレス(10月23日)

    アルフレード・ジェルモン:ロベルト・アラーニャ、ジャン=フランソワ・ボラス(9・10月)、シャルル・カストロノーヴォ(12月)

    ジョルジョ・ジェルモン: ジョージ・ギャグニッザ(9月29日から10月17日)、ルカ・サルシ(10月21日から26日)、ルドヴィック・テジエ(12月)

    フローラ: ヴィルジニー・ヴレ

    アンニーナ:コーネリア・オンチョイ

    ガストーネ子爵: ジュリアン・ドラン(9・10月)、フランソワ・ルジエ(12月)

    ドゥフォール男爵: イゴール・ニディ、フィリップ・ルイヨン

    ドビニー侯爵: クリストフ・ゲイ

    グランヴィル医師: リュック・ベルタン・ユーゴー

    管弦楽:パリ国立歌劇場管弦楽団

    筆者プロフィル

     加藤 浩子(かとう・ひろこ) 音楽物書き。慶応義塾大学、同大学院修了(音楽学専攻)。大学院在学中、オーストリア政府給費留学生としてインスブルック大学留学。バッハとイタリア・オペラをテーマに、執筆、講演、オペラ&音楽ツアーの企画同行など多彩に活動。著書に「今夜はオペラ!」「ようこそオペラ!」「オペラ 愛の名曲20選+4」「名曲を生みだした女性たち クラシック 愛の名曲20選」「モーツァルト 愛の名曲20選」(春秋社)、「バッハへの旅」「黄金の翼=ジュゼッペ・ヴェルディ」(東京書籍)、「人生の午後に生きがいを奏でる家」「さわりで覚えるオペラの名曲20選」「さわりで覚えるバッハの名曲25選」(中経出版)、「ヴェルディ」「オペラでわかるヨーロッパ史」「音楽で楽しむ名画」(平凡社新書)。最新刊は「バッハ」(平凡社新書)。

    公式HP http://www.casa-hiroko.com/

    ブログ「加藤浩子のLa bella vita(美しき人生)」

    http://plaza.rakuten.co.jp/casahiroko/

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