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イタリア・オペラの楽しみ

二人の名歌手が語った「ファルスタッフ」の魅力~デ・カンディア&メイインタビュー

デ・カンディア(ファルスタッフ)とメイ(アリーチェ)の稽古風景

香原斗志

 今月はロッシーニ・オペラ・フェスティバル(ROF)の第3段を予定していたが、この12月に新国立劇場で上演される「ファルスタッフ」の主役二人にインタビューできたので、ROFは来月に回し、「ファルスタッフ」の話を届けたい。

     このオペラを書き上げたとき、ヴェルディはすでに79歳だった。しかし、時代を代表する教養人で台本作家としての才能が最高度に開花していたアッリーゴ・ボーイトとの親密な共同作業を経て、詩句に音楽がこまやかかつ俊敏に応える絶妙の喜劇を書き上げた。フレーズは声、重唱、オーケストラへと自然に継がれ、その間、効果的な響きやハーモニーに彩られて、風刺を含む音型が無数に生み出され、色彩的な管弦楽と絡みながら言葉の隙間(すきま)を埋めていく。千変万化する音楽の洗練を極めた語法はすこぶる魅力的だが、それは同時に、演奏の難しさにつながるし、このオペラの潜在力は並大抵のことでは引き出せないということでもある。

     しかし、今回タイトルロールを歌うロベルト・デ・カンディア(バリトン)と、アリーチェを歌うエヴァ・メイ(ソプラノ)の話を聞くに、理想的なパフォーマンスになると確信するほかなかった。二人が名歌手であるのは議論の余地がないが、加えて解釈が実に的を射ていたからである。デ・カンディアの話から始めたい。まずは「ファルスタッフ」を歌ってのキャリアについて。

    インタビューを受けるロベルト・デ・カンディア

    ベルカントでの経験が役に立つ

     「初めてファルスタッフ役を歌ったのは2000年でしたが、私のファルスタッフ経験は何年かさかのぼります。師匠のセスト・ブルスカンティーニ先生がパーキンソン病で、話ができなくなる前に私にこの役について教えたいと言われ、数カ月、先生の家に滞在して勉強したのです。以後、昨年までパルマのヴェルディ・フェスティバルを含め、年に最低1回はファルスタッフを歌ってきたので、この20年で一番数多く歌った役かもしれません」

     歴史的にファルスタッフ役は、いわゆるヴェルディ・バリトンが歌うことが多かった。一方、デ・カンディアはベルカント・オペラの名手だ。そこに困難はないのだろうか。

     「実は1カ月半前、リゴレット役にデビューしました。声が健康で、訓練と勉強を重ねていれば、なにを歌っても声の新鮮さは維持できます。ブルスカンティーニ先生は、ファルスタッフを歌手たちが“歌いすぎる”のが問題だ、と言いました。ヴェルディの重い役を歌って、55歳を超え、70歳に届いたような歌手がファルスタッフを歌うことがよくあるけれど、すでに楽譜に書かれた音をすべては表現できない。80歳になっていたブルスカンティーニ先生は、私にそう言いました。ファルスタッフをめぐっては、語るように歌いすぎては表現にならない、または、強く歌いすぎてもヴェルディが求める色彩を表せない、という“伝統”があります。でも、この役はピアノからメッゾフォルテまで非常に色彩的な歌唱表現が要求されます。それはサー・ジョン・ファルスタッフという人物が、人間としても精神的にも文化的にも巨人だから。ヴェルディが書いた通りの音楽を通してファルスタッフらしさを表現することが重要で、それには色彩に富んだ歌唱が求められます。私がベルカントのレパートリーを歌ってきた経験は、ファルスタッフ役で言葉を表現するうえでおおいなる助けになります。ボーイトが書いた台本は、この素晴らしい音楽と同レベルで素晴らしく、質が高い。そのテキストを表現するうえで、ベルカントでの経験ほど役に立つものはありません」

     ヴェルディは各オペラで、長く信じられていた以上に歌手に柔軟な表現を求めている。だが、「ファルスタッフ」というオペラには、たしかに、それをかなり上回るレベルで柔軟性が求められることは疑いない。

     「ヴェルディとボーイトの共同作業の賜物である『ファルスタッフ』は、音楽が非常に難しい。オーケストラが歌手なしで練習しているのを聴くと、このオペラの管弦楽がいかに複雑で美しいかわかります。ボーイトは音楽そのもので、リズムを含んだ台本を書きました。日本の聴衆は成熟しているので、このすぐれた台本による演劇と一体化した音楽を理解し、楽しむことができるはずです」

     難しく複雑な音楽と、それと一体化した言葉。魅力的な演奏になるかどうかは、指揮者の力量に負うところも大きい。カルロ・リッツィはどうだろうか。

     「マエストロ・リッツィとはROFの『チェネレントラ』をはじめ、何度か共演していますが、音楽面だけでなく言葉や台本に目を向け、それが場面に反映されるように気を配る完璧な指揮者。要求は多いけど、それは舞台を100%の出来栄えに導くためで、その意味で一緒に仕事をするのがうれしいです」

    インタビューを受けるエヴァ・メイ

    ブッファとは異なるモダンなオペラ

     演奏する難しさは、もちろんエヴァ・メイも感じている。

     「『ファルスタッフ』は円熟の作品で、思うに、ヴェルディが初めて自分が書きたいように書いたオペラです。難しいのは、すべての役にレチタール・カンタンド(語りながら歌うこと)が求められるから。フォードだけは歌う場面が多いですが、ほかの役は演者であることが大切で、集団で“行動”しなければなりません。歌う以上に演じる必要がある場面が多いのです。このオペラを歌う歌手たちを、私は“カンタットーリ”と呼んでいます。カンタンティ(歌手)兼アットーリ(俳優)というわけです。ヴェルディのほかの作品と違い、初めから終わりまでアリアもレチタティーヴォもなく、言葉と結びついた音楽が続く。だから難しいけれど、私にとってはオペラのなかのオペラ。演劇的な動作と歌が一体化して、最も美しいオペラだと思っています」

     言うまでもないが、その美しさを聴衆に伝えられるのが一流の演奏だ。

     「『ファルスタッフ』はテキストを聴き手に伝えるのが難しくて、逆説的ですが、『ラ・トラヴィアータ(椿姫)』のほうが単純です。歌って感情を伝えればいいのですから。でも、アリーチェほか『ファルスタッフ』の登場人物は、言葉をふくらませるのが難しい。ヴェルディが望んだように、小さい声で、あまり歌わずに。正直、ヴィオレッタやジルダのほうが簡単です!」

     しかも、一人で演じるのでなく、アンサンブルがこのオペラの魅力である。

     「アリーチェという役はとても輝かしく、とても楽しく、いつも女性4人で一緒にいてそのリーダーが彼女。ですから、ファルスタッフを懲らしめるときも彼女がまとめ役で、終幕ではよりいっそう楽しませてくれます。そこからわかるのは、このオペラはイタリアの伝統的な仮面劇“コンメディア・デッラルテ”と結びついていること。だから、喜劇(オペラ・ブッファ)とは異なって輝かしいのです。『ファルスタッフ』は喜劇ではなく、ブルジョワのコメディー。だから喜劇にありがちな誇張された人物ではなく、あくまでも普通の人物が描かれています。つまり、このオペラは非常にモダンで、だから美しく、また聴衆が自分を登場人物に同化できるのです」

     二人の言葉に「ファルスタッフ」の特徴と魅力がよく伝わったと思う。むろん、このように語れるのは、作品の本質を理解したうえで、適切に表現できる能力があるからである。

    公演データ

    【新国立劇場 ヴェルディ:「ファルスタッフ」(全3幕 イタリア語上演日本語字幕付き)】

    12月6日(木)19:00 9日(日)14:00 12日(水)14:00 15日(土)14:00 新国立劇場オペラパレス

    指揮:カルロ・リッツィ

    演出:ジョナサン・ミラー

    美術・衣装:イザベラ・バイウォーター

    照明: ペーター・ペッチニック

    ファルスタッフ:ロベルト・デ・カンディア

    フォード:マッティア・オリヴィエーリ

    フェントン:村上公太

    医師カイウス:青地英幸

    バルドルフォ:糸賀修平

    ピストーラ:妻屋秀和

    フォード夫人アリーチェ:エヴァ・メイ

    ナンネッタ:幸田浩子

    クイックリー夫人:エンケレイダ・シュコーザ

    ページ夫人メグ:鳥木弥生

    管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団

    筆者プロフィル

     香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声についての正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。新刊「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。

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