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「新芸」とその時代

(56)1980年ーー波乱の幕開け

1973年ボリショイ・バレエ来日公演でのワシリエフ(左)とマクシモワ。80年の来日は実現しなかった

トラブル相次ぐボリショイ・バレエ

 新芸術家協会が招請した1980年1~2月のボリショイ・バレエ(モスクワ)来日公演は、前回紹介したような亡命事件はあったものの、公演自体は遂行された。

     実はこの公演をめぐっては、来日前から不穏な空気があったようだ。当初の計画では人気ダンサーのエカテリーナ・マクシモワ、ウラジミル・ワシリエフ夫妻を中心とした「この魅惑のひびき」といった演目が目玉になるはずだったが、結局2人は「悪性の風邪」を理由に来日しなかった。

     真相は不明だが、来日にあたって団員5人に日本への出国許可が出ず、ワシリエフはこの5人が抜けるなら自分も日本に行かない、と主張したという報道もある(朝日新聞79年11月24日付夕刊)。

     さらに、冬の公演ならではのトラブルも起こった。新芸の元社員、児玉真(地域創造プロデューサー)はこう振り返る。

     「当時はナホトカから船で来日するのが普通でしたが、ナホトカ港が凍結して出港できなくなりました。出演者は飛行機で来日しましたが、舞台装置などの荷物は数日遅れで到着し、公演の開幕に間に合わなかったのです。結局最初の2日ぐらいの公演は、舞台装置なしの『バレエコンサート』風に切り替えて何とかしのぎました」

    振付家として一時代を築いたグリゴローヴィチ=70年1月

     公演内容の大幅な変更を受け、芸術監督のユーリー・グリゴローヴィチが急きょ来日し記者会見で「政治的な理由ではない」ことを強調する一幕もあった。

     折あしく、79年末のソ連のアフガニスタン侵攻に加えて、元陸上自衛隊陸将補がソ連大使館付武官に秘密情報を渡していたスパイ事件(宮永事件)が発覚し、日本では反ソ感情が高まっていた時期であった。

     「こんな時にソ連のものをやるとは何事か、という雰囲気がありました。地方では地元のマスコミが主催に入っているところもありましたが、主催者が抗議を受けたところが何カ所かありました。岡山では右翼の街宣車がやってきて、ホテルから一歩も出られなかったこともありました。それでも公演は全部、無事に終えました」

    73年ボリショイ・バレエ来日時とみられる写真。(左から)ボリショイ劇場副総裁のアロン・レフ、新芸の西岡芳和社長、マクシモワ、ワシリエフ、西岡の妻旬子、ボリショイ劇場舞台監督のアララート・チャルフチャンツ=西岡昌紀氏提供

    日程変更に苦戦――夏のキエフ・バレエ

     80年のモスクワ五輪ボイコット問題は、ソ連の演奏家の相次ぐ来日中止など音楽界にも少なからぬ影響を与えた。5~6月にソ連でのプレ五輪コンサートなどに出演する予定だったNHK交響楽団のヨーロッパ公演が急きょ中止され、「文化交流はその時々の外交に左右されるべきではない」などの批判も浴びている。

    74年キエフ・バレエ来日公演の「ロメオとジュリエット」。ジュリエット(右)はリュドミラ・スモルガチョワ、ロメオはヴィクトル・ルィビー

     そんな中でのキエフ・バレエ(現ウクライナ)の来日公演で不測の事態が起きた。来日は当初7~8月に予定されていたが、ソ連側が五輪終了までバレエ団を派遣できないと通告してきたのだ。西岡は倒産後に雑誌のインタビューで当時の様子を語っている(「日経ビジネス」82年2月8日号)。

     「もうすべて準備を完了しており、地方公演の主催をお願いした県や市では文化事業として予算も組んでますから、抜き差しならない状況です。私は1~2カ月くらいずらすのは可能だと思い、日程の調整を始めたんですが、どうしてもうまく行きません」。ソ連から来るバレエ団100人超に加え、日本のオーケストラや裏方なども加えると、公演関係者は200人以上に上る。会場の日程調整に加え、彼らの旅行の手配をすべて変更するのは大仕事で時間もかかった。入場券の販売期間が短くなった主催者は、契約金の値下げを求めたり、興行のリスクを新芸側が引き受ける「委託契約」に切り替えたりした。その結果、新芸は間接経費を含め1億数千万円の損失を被ったという。

     新芸は毎年夏にソ連の三大バレエのいずれかを招請するのが定例の事業だったが、80年に限っては、冬にボリショイ、夏にキエフの2本立てだった。経営に陰りが差しはじめていた時期に、「安く仕入れて高く売れる」利益率の高い興行で巻き返しを狙ったのかもしれない。しかし、結果的に収益を上げるどころか経営に大きなダメージを与えたのが、このキエフ・バレエであったようだ。

     困難を乗り越えて敢行したものの、二つのバレエ公演については厳しい評価が見える。音楽年鑑(81年版)は、ボリショイ・バレエについては「主要メンバーの入れ替えなどがあって、舞台の出来はいままでの最低であった」とし、キエフ・バレエも「新演出と宣伝されていた『白鳥の湖』は、全くの駄作であった」と手厳しい。

    オペラは鬼門か

     音楽事務所は一種の「問屋業」でもある。地方公演の場合、通常は主催者と一定の金額で契約し企画を「卸す」。事務所側がチケットの売れ行きに左右されずに確実に収入を得られる方法である。ところが委託契約は、事務所側が主催者に一定経費を払って公演業務を委託し、入場料収入のリスクは事務所が取る。委託契約が増えれば事務所の経営が不安定になるという図式で、末期の新芸がまさにそうであった。

     ところで、新芸が「委託される側」として公演を行ったケースがある。79年6月のウィーン国立フォルクスオーパーの初来日公演である。招請は中部日本放送(CBC)で、全13公演のうち、東京での7公演のマネジメントを請け負っている。

     81年の新芸倒産の理由は西岡芳和社長が商品相場に手を出して失敗、というのがマスコミを含めた大方の見方だが、投機に深入りしたのはフォルクスオーパーの仕事の頃ではないか、とのうわさがあったらしい。

     「チケットを売って、売り上げの何パーセントかが新芸に入る仕組みで、オペラ7公演だと膨大な売り上げです。ところが精算してCBCに支払うのは半年先。目の前にどかんと大金があって、半年間でそれを増やそうと思ったのかもしれませんね。西岡さんがいつか『こういうことは昔からやっていたんだよ』と話していた記憶があります。お金が手元にある時に増やそう、ということを西岡さんはずっとやってきていたんでしょう。それがこの時にうまくいかなくて、金額も大きいからずるずると深みにはまったのではないか」と児玉。

     西岡は筆者に「70年にボリショイ・オペラを呼んで、もうオペラはこりごりだ」と語っている。大金が動くオペラは、西岡にとってある種の「鬼門」だったのかもしれない。 (文中敬称略、原則として文中の引用文は原表記のまま)        【野宮珠里】

    ※原則として隔週土曜日掲載。次回は2月16日掲載の予定です。

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