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遠藤 靖典

 二月大歌舞伎の夜の部にいそいそと出かけてきた。目当ては3番目の演目「名月八幡祭」に船頭三次の役で出演中の片岡仁左衛門であったが、最初の「熊谷陣屋」、2番目の「當年祝春駒」のどちらも大層楽しめた。「熊谷陣屋」における吉右衛門の円熟ぶり、菊之助の水際立った義経は言うまでもないが、個人的に印象に残ったのは「當年祝春駒」における米吉と梅丸の美しさ! 休憩時間の女性客の会話からも、多くの観客が同様の感想を持っていたようである。同じ演目による左近の成長ぶりも忘れてはならない。腰の据わった立ち振る舞いができているように見受けられた。将来が楽しみである。

     さて、「熊谷陣屋」は忠義のために我が子を犠牲にする夫婦の話である。歌舞伎では忠義を題材にした演目が多く、ご存じ「仮名手本忠臣蔵」をはじめ、「盛綱陣屋」「寺子屋」「すし屋」等、枚挙に暇(いとま)がない。筆者は歌舞伎に関しては初級者みたいなものなので、詳細をお知りになりたければネット等で色々お調べいただきたいが、まあ多いと言って良いであろう。「當年祝春駒」も敵を討たんとする兄弟と敵との邂逅(かいこう)を描いているので、同様に忠義が底流に流れている。

     それから見ると、「名月八幡祭」は大分違う。主人公は深川芸者の美代吉と、美代吉に懸想する真正直な縮屋の新助。そこに美代吉の情夫の船頭三次が絡んできて話が進むのだが、簡単に言えば、美代吉の口車に乗って身代をすべて売り払った新助が、その一途(いちず)な気持ちを蔑(ないがし)ろにされ、帰る処(ところ)もなくなり、終(つい)には狂って美代吉を斬殺する、という凄惨(せいさん)な話である。この話の柱は(多少は忠義もあるかもしれぬが)恋であろう。「新助のなんと哀れなことよ、美代吉なんかに懸想するから…」と思っているうちに、カルメンが頭をよぎった。考えてみれば、美代吉はカルメンに似ている。気が多く、男を手玉に取って奔放に生き、純な男の気持ちを踏み躙(にじ)った挙句、頭に来た男の手に掛かって絶命する。ヨーロッパも日本も、恋の路(みち)は変わらないものらしい。「名月八幡祭」に限らず、「吉田屋」「女殺油地獄」等、恋物も歌舞伎には多いし、前にも触れたことのある「盟三五大切」のように忠義と恋の両方を巧みに取り入れた話も数ある。

     ここでふと思った。歌舞伎には忠義物も恋物も多くあるが、こと恋愛について、オペラはどうなのだろうか? とは言え、男女の恋愛を描いたオペラは数多ある。逆に、男女の恋愛を描いていないオペラはどの程度あるのだろう?

     筆者はオペラ評論家でもないので、多少知っているとは言え、世に伝わっている大半のオペラについて知悉(ちしつ)しているわけではない。しかし、自分の知識の中における統計を全体に当て嵌(は)めても、中(あた)らずと雖(いえど)も遠からず、であろう。

     そこで、ネットの力も借りて色々調べてみた。そうすると、これが意外にないのである。まずモンテヴェルディにはない。ヘンデルも知っている範囲にはない。グルック、チマローザ、モーツァルトにもない。ベートーヴェン唯一のオペラは夫婦愛がテーマなのでこれも違う。ウェーバー、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニ、グリンカ、ワーグナー、ヴェルディにもない。グノー、オッフェンバック、スメタナ、ヨハン・シュトラウス2世、ビゼー、ムソルグスキー、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、マスネ、ヤナーチェク、レオンカヴァッロ、プッチーニ、マスカーニ、リヒャルト・シュトラウス、ベルク、ショスタコーヴィチ…全部ない。

     結局、筆者の調べた範囲で男女の恋と関係なさそうなオペラは、シェーンベルクの「モーゼとアロン」、フンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」、ラヴェルの「子供と魔法」くらいしかなかった。調べ落としもあるであろうし、思いもかけないものが漏れていることだってあろうが、大勢に影響はなかろう。オペラのほとんどが恋愛と関係ある、と言い切ってもよさそうである。

     であるとすると、メンタル的に歌舞伎とオペラとは大分違う。「当たり前だ、何を言っているんだ!」という声が聞こえてきそう。御尤(ごもっと)も。もちろん筆者も歌舞伎とオペラのメンタルの違いについて漫然とは感じていたが、このように数として顕(あらわ)れてくると、結構面白く感じるのではあるまいか? これをもって日本とヨーロッパの精神構造の違いに直接言及するのは短絡的と言えようが、ヒントくらいにはなりそうであり、恋愛のパターンを類型化した上で、歌舞伎とオペラを分類し、対比させれば、却々(なかなか)に面白い結果が得られるような気がする。案外データ解析の対象として面白いかも!

     とまあ、斯(か)くの如(ごと)く色々考えてはみたが、下手の考え休むに似たりで、こういったことに疾(と)うの昔に気付いている先達は必ずいるはずである。そのような方のより詳細な分析があれば、ぜひぜひご教示いただきたく思う。

    筆者プロフィル

     遠藤靖典(えんどう・やすのり) 大学教授。専門はデータ解析。教育・研究・学内業務のわずかな間隙(かんげき)を縫ってヴァイオリンを弾き、コンサートに足を運ぶ。

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