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イタリア・オペラの楽しみ

最新ミラノ・スカラ座情報 「ラ・トラヴィアータ」、「マノン・レスコー」、そしてリサイタル 

香原斗志

「ラ・トラヴィアータ」1幕より、ヴィオレッタ(ブルー)とアルフレード(メーリ)=2019年3月、ミラノ・スカラ座 (C) Taetro alla Scala

復活から29年たった「ラ・トラヴィアータ」

 スカラ座におけるヴェルディ「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」には、いまも特別感が漂う。イタリア・オペラ最大の人気演目なのに、イタリア・オペラの殿堂たるスカラ座では1964年から1990年まで26年も上演されなかった、という過去の事実のせいだろう。カラヤン指揮、フレーニ主演の「ラ・トラヴィアータ」に客席が大炎上したのが1964年。1956年のジュリーニ指揮、カラス、ライモンディ、バスティアニーニというキャストの強烈な印象が残っていたせいだとされ、以後、怖くて上演できなくなったというわけだ。

     1990年、26年間の禁を破ったのが音楽監督だったリッカルド・ムーティで、ブーイングを封じるために天井桟敷を閉鎖しての上演だった。結果的に物騒な事態に陥らず、以後、上演できるようになったという経緯がある。しかし、ムーティが導く音楽は単なる原典重視にとどまらず、すみずみまで表情豊かで生気がみなぎり、うるさい聴衆を黙らせる力があった。演出には女流映画監督リリアーナ・カヴァーニを起用し、伝統的だが洗練された美しい装置を用いて、たとえば舞踏会の参加者一人ひとりにまで細かな演技がつけられた緻密な舞台づくりが印象的だった。

     今年3月17日、スカラ座で観賞した「ラ・トラヴィアータ」も、そのときと同じカヴァーニ演出の舞台だったが、この演目もムーティが復活させてからもう29年。空白期間とほぼ同じ年月が経過していたのだ。もはや、隙(すき)を見せるまいと肩肘張って上演する必要がないのも当然だろう。装置や衣装は相変わらず美しいが、舞台上のすべての人物にドラマが感じられるような、あの細やかな人物描写は見られなかった。

     29年前の上演は、ヴィオレッタを歌ったティツィアーナ・ファッブリチーニの力量に賛否両論が渦巻いたが、いずれの役もディナーミクとアゴーギクが徹底して管理され、聴き慣れたこの作品が、実は、ヴェルディによって細やかな表情が想像を超えるレベルで描かれていることに気づかされた。それにくらべると、今回の上演は良くも悪くも「伝統的」な普通の「ラ・トラヴィアータ」で、指揮のマルコ・アルミリアートは歌手に自由に歌わせ、寄り添って引き立てるという音楽作りだった。

     ヴィオレッタは当初、ソーニャ・ヨンチェヴァと発表されていたが、エンジェル・ブルーに変更になった。芯のある力強い声なのに、第1幕のコロラトゥーラもスコアにない高音Esも楽にこなせるのは、身体能力の高さゆえだろうか。第2幕のジェルモンとの二重唱も第3幕も力強いドラマになる。だが、たとえば第3幕、「神よ、こんなに若くして死ぬなんて Gran Dio! morir si giovane」と激しく歌う前の「Ah」を9秒も引っ張り、声の力に驚かされたが、末期の結核でもうすぐ命が尽きるのではないのか、とツッコミを入れたくなったのも事実である。

    第2幕より、ヴィオレッタ(ブルー)とジェルモン(ドミンゴ)=2019年3月、ミラノ・スカラ座 (C) Taetro alla Scala

     アルフレードのフランチェスコ・メーリは、いつもながらの質感の高い声とスタイリッシュなフォームで、かつ情熱的な歌唱だった。ただ、高級娼婦に純愛をささげる若いブルジョワ青年にしては英雄的すぎる感もあった。ジェルモンはプラシド・ドミンゴ。彼目当ての聴衆が多かったのだろう。登場すると、ここはMET(メトロポリタン歌劇場)かと錯覚するような拍手が起きた。78歳の大歌手はバリトンの役を歌っても響きはテノールのままだが、声に年齢を感じさせない輝きがあり、歌のフォームも驚異的に整っている。終演後も、ドミンゴに声援を送る聴衆がなかなか帰らず、カーテンコールが長く続いた。

     ただし、ドミンゴはドミンゴのテンポで歌っていたし、彼が疲れることへの配慮だろう、第2幕の「プロヴァンスの海と陸」に続くカヴァレッタをそっくりカットした演奏を聴いたのは久々だった。全体に、歌手の声を楽しむという視点に立てば悪くない演奏だが、ヴェルディの意図を細やかに音に反映するというムーティの理想から遠のいている現状に、寂しさを覚えたことも否定できない。

     ところで、最近のスカラ座は名歌手のリサイタルにも力を入れており、オペラがマチネ公演だったこの日は夜、ブルガリアのソプラノ、クラッシミラ・ストヤノヴァのリサイタルも行われた。シューベルト、R・シュトラウス、コルンゴルト、ムソルグスキーの各歌曲で、強い声力のまま、響きの質や声の色を一定にたもちながら歌詞の世界を深く掘り下げて、圧巻だった。

    リサイタルでのストヤノヴァ=2019年3月17日、ミラノ・スカラ座 (C) Taetro alla Scala

    21年ぶりの「マノン・レスコー」

     それから1カ月あまりたった4月24日、プッチーニ「マノン・レスコー」を観た。スカラ座では今回が1998年6月以来、21年ぶりの上演で、私も21年前、スカラ座で鑑賞したのだが、そのときの記憶はいまも鮮烈だ。フィレンツェ、ローマ、ナポリでオペラを鑑賞して最後がスカラ座の「マノン・レスコー」だったのだが、ムーティ指揮のオーケストラの音の輝きときらめきがほかの都市の歌劇場と段違いで、度肝を抜かれたものだ。

     「ラ・トラヴィアータ」と同じカヴァーニの演出は、合唱の一人ひとりにまで細かく演技がつけられ、装置は伝統的だが美しく、各場面が映画のようだった。歌手はマリア・グレギーナとホセ・クーラのデグリューという重量級の組み合わせだったが、歌唱はムーティの指示が行き届いて細やかだった。

     さて、今回、リッカルド・シャイーの指揮はムーティほどエッジが利いた音楽作りではないが、どこにも弛緩がなく緊張感が途切れないもので、アリアの後にも拍手の余地を与えず、ドラマのスリリングな展開を引き立てていた。また、スカラ座管弦楽団のブリリアントな響きは相変わらずであった。

    「マノン・レスコー」第1幕より=2019年4月、ミラノ・スカラ座 (C) Taetro alla Scala

     マノンのマリア・ホセ・シーリは新国立劇場の「トスカ」などでもおなじみだが、イタリア・オペラにおけるソプラノ・リリコ・スピントの第一人者になった感がある。強靭(きょうじん)な声で、音域や強弱によって声質が変わったりムラが生じたりしないのが強みだが、欲をいえば、マノンにはもう少し少女のみずみずしさとファム・ファタールらしい妖艶さがほしかった。デグリューのロベルト・アロニカも声に若さがあるといいが、優れた歌唱である。ジェロンテのカルロ・レポレはベルカント・オペラ出身で表現が細やか。レスコーのマッシモ・カヴァレッティはスタイリッシュな歌唱で、この二人がこの水準だとドラマが引き締まる。

    第4幕、子供時代のマノンが現れる。マノンは第1幕同様、右手の貨車の上に(すべてはマノンが眺めている夢という設定なのか?)=2019年4月、ミラノ・スカラ座 (C) Taetro alla Scala

     

     舞台は、幕が開くとそこは構造物に鉄骨が多用された19世紀後半の鉄道駅で、SLが登場する。演出のデイヴィッド・パウントニーは、19世紀の社会の不確実性と、解放された性の象徴として鉄道駅をモチーフにしたという。そして第2幕のジェロンテの広間は、豪華な客車の内部に、第4幕のニューオーリンズの荒野は、この時代の混乱の象徴として、第1幕の鉄道駅が荒廃した情景になる。舞台には頻繁に、少女時代とおぼしきマノンが何人も登場したが、不確実な社会に翻弄(ほんろう)される現在のマノンに対置される、たしかなものがあったころのマノンなのだろう。

     スカラ座がイタリアの歌劇場のなかで、圧倒的な水準を誇ることに疑いを挟む余地はないが、いま、ムーティ時代ほどの強いカラーはない。舞台にさまよう過去のマノンは、明確な方向性を見いだしたいというこの歌劇場の願いでもあるのだろうか。

    筆者プロフィル

     香原斗志(かはら・とし) 音楽評論家、オペラ評論家。イタリア・オペラなど声楽作品を中心にクラシック音楽全般について音楽専門誌や公演プログラム、研究紀要、CDのライナーノーツなどに原稿を執筆。声についての正確な分析と解説に定評がある。著書に「イタリアを旅する会話」(三修社)、共著に「イタリア文化事典」(丸善出版)。新刊「イタリア・オペラを疑え!」がアルテスパブリッシングより好評発売中。

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